活動内容

わくわく倶楽部(フィールドワーク)姉小路通を歩く(19.5.16)

わくわく倶楽部(フィールドワーク)姉小路通を歩く

日 時 : 2019年5月16日(木) 10時~12時
参加者 : 15名
経 路 : 京都市営地下鉄烏丸御池駅~姉小路橋(姉小路通木屋町)

姉小路通は、西は佐井通(島津製作所)から東は木屋町通(高瀬川)までの全長3.5㎞の通りで、今回は姉小路通の烏丸通から木屋町通までを散策しました。

①亀末廣(姉小路通烏丸東入ル)
  文化元年(1804)年、伏見醍醐の釜師・亀屋源助創業の干菓子の老舗
  ”廣末亀司子菓御” の看板は、檜の一枚板で、書家『山本竟山』の書。

  御所や二条城に納める御菓子に使われる木型は、毎回新しいものが作られます。その再使用されない木型を看板の額縁に使い、表に掲げられています。

  長暖簾は、亀に「寿恵飛呂」。軒暖簾も硝子戸も末廣に亀。登録商標です。


   店内もお宝づくしでした。『小曽根乾堂』が書かれた ”堂年萬” の額

  小曽根乾堂は、長崎を代表する豪商で、若くから有名な書家、画人、学者に学び、特に篆刻家として名高く、明治政府の勅命により明治4(1871)年に御璽「天皇御璽」・国璽「大日本国璽」(石印)を篆刻しています。
現在使用されている御璽・国璽は明治7(1874)年に京都の秦蔵六が鋳造し、安部井櫟堂が刻した合金製(18金)のもので、国璽には「日本国璽」と刻まれています。

        「御本丸 御用 御善所」提灯箱

②春芳堂(姉小路通烏丸東入ル)
  安政3(1856)年創業の表具・表装店
  上の赤字の看板は欅の一枚板で『竹内栖鳳』の書。
  下の青字の看板は『富岡鉄斎』によるものです。 

③八百三・やおさん(姉小路通東洞院西入ル)
  享保12(1727)年、初代八幡屋三四郎が野菜・果物・乾物の商いで創業。その後柚味噌を使った精進料理の仕出屋を経て、昭和天皇御大典以降に柚味噌の専門店となりました。

  店内にある 噌味柚 の看板は欅の一枚板で『北大路魯山人』が自ら彫られたものです。表の看板はレプリカです。

④平楽寺書店(東洞院通三条上ル曇華院前町)
  慶長年間(1596~1615)に創業された仏教書専門の出版会社
  以前の社屋は国の登録有形文化財に指定されていましたが、老朽化のため2017年に解体され登録が抹消されています。


⑤高倉宮趾・明治天皇行幸所上京第廿九組小学校石碑
(東洞院下ル曇華院前町)
       「翔びたとう初音」記念碑 

  平安末期、この辺りには白河院の第3皇子(第2皇子とも)以仁王の御所、高倉宮がありました。現在は京都市教育相談総合センター・文化博物館・中央郵便局等になっています。


  室町時代になると、この地には曇華院が建てられ、その様子は「洛中洛外図屏風・上杉本」に描かれています。
ここでは“わくわく探検隊員”が関心を持たれた、曇華院前に描かれている“印地打ち”について少し触れることにします。

          【洛中洛外図屏風上杉本:京都アスニー陶板壁画】

平安時代末期頃から端午の節句に男児が二手に分かれて礫を投げあう「印地打ち」という石合戦が行われるようになります。節句に石合戦をする意味は諸説ありますが、邪気を払い清め、男児の無病息災が叶うと考えられていたようです。近世に入り生命の危機を脅かす「印地打ち」は邪気払いの薬効が高いとされた菖蒲を用いた「菖蒲切り」・「菖蒲打ち」へと推移し、明治6(1873)年の五節句廃止令が出されるまで行われていました。
  【参考図書)
  「雨窓閑話」巻の上「織田信長吝嗇並印敷打の事」
   喜多川守貞「守貞漫稿」(天保~嘉永頃)巻27夏の項参照

⑥京都瓦斯発祥の地(菊屋町)
  この辺りは明治42(1909)年に設立された、京都瓦斯本社の跡地です。
  (京都瓦斯は昭和20(1945)年に大阪瓦斯に吸収合併されています)
平成7(1995)年、京都瓦斯跡地に大型マンションの建設計画が発表されたところ、反対運動が起こり、周辺住民を中心に「姉小路界隈を考える会」が結成され、協議を重ねた結果、マンションの大きさを縮小し、外観も地域にふさわしいものに変更され、平成14(2002)年、8階建てのアーバネックス三条が竣工しています。(日本都市計画学会賞受賞)
  このことをきっかけに地域の建築協定「姉小路界隈町式目」を制定し、まちづくりに取り組まれています。

「京都のまちづくりの希望の灯り」と命名された内原智史氏設計のガス灯も旧地に設置され、24時間灯りを灯し地域の安全に寄与しています。

⑦平野商店(姉小路麩屋町角)
  明治39(1906)年創業の北大路魯山人や白洲次郎お気に入りの豆腐屋さん。

⑧彩雲堂(姉小路通麩屋町東入ル姉大東町)
  明治初期の創業。京都画壇など多くの画家を支え続ける日本画の画材店。
  彩雲堂の「彩雲」は、李白の「早に白帝城を発す」の一節、「朝に辞す白帝彩雲の間」から採られたもので、朝日に美しく彩られ、次第に色が変化してゆく早朝の雲のこと、『富岡鉄斎』が名付け、書を贈られています。


⑨総本家 河道屋(姉小路御幸町西入ル姉大東町)
  元禄年間(1688~1704)に上京区小川通上長者町上ルで餅等を扱う菓子屋と蕎麦屋を創業。火災に遭い、享保年間(1716~1736)にこの地に移られています。

  明治の初めに、13代目の河道屋安兵衞が「蕎麦ほうる」を考案されました。店内奥には明治初期から「蕎麦ほうる」を焼き、蕎麦を茹でた外国製のレンガの釜が残されています。


  レンガの釜の上の荒神棚とお向かいの河道屋別館には大きな綺麗な布袋さんが並んでいました。16代目のお話では「はっきりとはわかりませんが、私の生まれる前からあり、少なくても100年は経ってます。」との事でした。


  表の蕎麦ほうるの看板は、宗教家・社会事業家一燈園の創始者『西田天香』の直筆で、このお店一番のお宝だそうです。

           ここらで吉野さんから頂いた亀末廣の干菓子を頂きました

⑩鳩居堂(寺町姉小路上ル下本能寺前町)
  創業356年の鳩居堂本店の社屋が解体されていました。
  2020年に新社屋が完成するそうです。
  現在、本店の斜向かいに立派な仮店舗を設けて営業されています。

⑪竹僊堂(姉小路河原町西入下本能寺前町)
  大正12(1923)年開業の古典籍専門店
  お店には入りませでしたが、ホームページが面白い。覗いて見て下さい。


⑫京都朝日会館(河原町通三条上ル恵比須町)
  現在の京都朝日会館は朝日新聞社が昭和50年に建てた二代目の建物です。
  わくわく探検隊員は、昭和10年竣工の初代の建物に東郷青児が昭和27年に書き改めた大壁画「平和と団結」が印象的だったようで、回想されていました。


⑬カトリック河原町教会(河原町三条上ル下丸屋)
  かつてこちらにあった明治23(1890)年竣工の初代聖堂は昭和42(1967)年に愛知県犬山市の明治村博物館に寄贈移築されており、現在もその姿を見ることが出来ます。


⑭徳川時代対馬宗氏屋敷跡 附 桂小五郎寓居跡の石碑(姉小路通木屋町西入)


今回は午前中の散策でしたが、夜間には姉小路通沿いの寺町通から柳馬場通までの街灯・店舗照明・民家の外灯等を電球色に統一し、温かさを感じる街並みを演出されています。昼とは違う街並みが見られるようです。
姉小路通は、そこに住まわれる人々の京都人としての誇りと責任が感じられる、まさに京都らしい通りでした。

(報告:藤川由美子会員)
(写真:藤川由美子・熊谷喜輝)
(広報部:熊谷喜輝)

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