活動内容

わくわく倶楽部(フィールドワーク) 二条大路を歩く⑤(17.7.27)

わくわく倶楽部(フィールドワーク) 二条大路を歩く⑤

日 時:2017年7月27日(木) 16:00~18:00
参加者:10名
出 発:二条通 イオン

 二条通④⑤-3b

今回は、二条通り東大路東入のイオンのスーパーマーケット前から再スタートです。
このイオンのスーパーも昔は「シロ」というスーパーで、集合住宅の一階にフロアーを持つ新しいスタイルのスーパーとして注目を集めました。

この場所の北辺りに、平安時代「南殿」のあったところで、その東、東大路通り辺りに「得長寿院」がありました。この寺は、平忠盛が鳥羽上皇の依願を受け、建てた三十三間堂です。後日息子の清盛が建てた、蓮華王院三十三間堂のモデルになった建物でもあります。1001体の観音菩薩を祀ります。本堂のあったところが、ちょうど川端警察署の建物に合致するのも面白いです。これにより忠盛は殿上人になります。
平家一門の躍進のきっかけになります。

東大路を東に渡ります。右手(南)に妙傳寺が見えますが、前回の歴探の範囲であり、今回はパスします。
少し東に行くと、琵琶湖疏水が北に向かって流れています。西北角に細見美術館があります。
細見亮市と息子たちにより収集された私立の美術館です。琳派や若冲など江戸中期の作品にとどまらず、仏画や仏像など幅広い美術品があり、根強いフアンがいます。
大江匡(ただす)の設計で、平成10年に会館しました。(昔この地にレストランのあったことを知っている人もすくなくなりました。)

京都会館、設計者は故前川國男氏で、水平線を強く意識した意匠、モダニズム建築の傑作と高い評価を受ける。その後約50年、デザインはそのままに、全面改築し、2016年「ロームシアター京都」として生まれ変わりました。新しい文化を発信します。

ロームシアター(京都会館)前にて
ロームシアター(京都会館)前にて

この地より東に平安時代、六勝寺のあったところで話が盛り上がりました。
ちなみに六勝寺とは
①法勝寺 白河天皇(1077)   ②尊勝寺 堀河天皇(1102)(ロームシアター)
③最勝寺 鳥羽天皇(1118)   ④円勝寺 待賢門院(1128)
⑤成勝寺 崇徳天皇(1139)   ⑥延勝寺 近衞天皇(1149)
この岡崎の地は、白川村と言われ、天皇や貴族の祈りの場でもありました。
応仁・文明の乱で荒廃し、畑地になりました。再び脚光を浴びたのは明治になり博覧会場になってから以降のことです。平安神宮もその時に作られ、岡崎として新しい文化の発信地として市民から愛されています。

京都博覧会石碑(御苑より移送)
京都博覧会石碑(御苑より移送)
第4回内国勧業博覧会の名残のモニュメント(平安神宮前)
第4回内国勧業博覧会の名残のモニュメント(平安神宮前)

昔は岡崎道で二条大路は末となり、行き止まりとなります。今では動物園の北側の道として東に続きます。ここからは法勝寺の寺域に入ります。南半分が動物園なのです。81mの八角九重の塔がそびえていました。(動物園内観覧車あたり)
東に少し行くと、左(北側)に土地が高くなったガレージがあります。ここが法勝寺の金堂基壇の跡だと言われています。1100年前の遺跡が確認できるってスゴイことだと思いませんか。

法勝寺跡(?)
法勝寺跡(?)

少し東に行くと、「法勝寺町」というバス停があります。昔は、「ほうしょうじちょう」となってました。今では「ほっしょうじちょう」となっています。市民からのクレームにより、変更された珍しい事例です。
バス停のところに、「白河院」という料理旅館があります。平安時代藤原氏が所領し、法勝寺に寄進した痕跡と言われます。現在では小川治兵衛により整備されています。

白河院前にて
白河院前にて
白河院と法勝寺の説明駒札
白河院と法勝寺の説明駒札

二条通りを東に行くと白川にあたります。ここが現在の末になります。

二条通東端の標識
二条通東端の標識

この白川を少し左(北)へ行くと、谷崎潤一郎の寓居跡があります。「前潺湲亭(せんかんてい)」と言います。下鴨神社の「石村亭」の次の住まいです。昔は銅の説明板がありましたが、今はありません。
その後、真々庵、碧雲荘の前で解散となりました。

(報告:田村専務理事)

本日の参加者(碧雲荘裏門)
本日の参加者(碧雲荘裏門)

(写真撮影:熊谷喜輝)
(広報部:熊谷喜輝)

活動内容
このページの先頭へ戻る

Copyright © MIYAKOGUSA All Rights Reserved.