活動内容

わくわく倶楽部(フィールドワーク)二条大路を歩く④(17.4.20)

わくわく倶楽部(フィールドワーク)二条大路を歩く④

日 時:2017年4月20日 10:00~12:00
参加者:12名
出 発:木屋町二条、がんこ二条苑

 二条通④⑤-2b

野津部長から本日の案内
野津部長から本日の案内

現在はがんこ二条苑として料理屋になっていますが、江戸時代初期には角倉了以の別邸のあったところとして有名です。そしてこの庭を通して高瀬川の源流を鴨川から取り入れ、一の舟入に導いています。

がんこ二条苑入口
がんこ二条苑入口
鴨川からの取水口
鴨川からの取水口

明治には、山形有朋(政治家)、川田小一郎(日銀総裁)、阿部信行(東洋紡)など政財界人が所有。2600㎡ 広大な敷地に水を生かした小川治兵衛の庭が展開します。一枚岩の水落石から滝が流れ落ち、樹齢200年の椋の木や紅梅の銘木が存在感を示します。日本一の灯籠(高さ13m)が東山を借景にしてそびえます。

小川治兵衛作庭の見事な庭園
小川治兵衛作庭の見事な庭園
一枚岩の水落石からの滝
一枚岩の水落石からの滝
日本一大きい灯篭
日本一大きい灯篭
第二無鄰菴跡
第二無鄰菴跡

リッツカールトンホテルの東側から鴨川に降りられます。すぐ下に「みそそぎ川」が流れています。
この水の高さが、昔の鴨川の水位だったのです。角倉邸の庭に直接大量の水が流れ込み、高瀬川の船を浮かべることができたのです。
鴨川が浚渫され、今の深さに掘り下げられたのは昭和10年の水害以降です。その時にみそそぎ川が作られ、がんこの庭に分水されているのです。

一の入船付近は桜が残っていました
一の入船付近は桜が残っていました

二条大橋を渡る前に、橋の下に降りてみましょう。
ナント、洛中洛外図屏風(上杉本・レプリカ)が飾られているのです。(知らんかったー)
この橋の下に、桂小五郎が潜み、橋の上から幾松がオムスビを降ろしたという逸話が残っています。

橋下の洛中洛外図
橋下の洛中洛外図

橋を東に渡ると、川東地区と呼ばれる場所になります。
東詰めの北側に三角形の地形があります。(斜めに二条通りに道が合流します)
北の端から二条通りまですべてが昔の二条大路だったのです。17丈、51m(現在の御池通相当)寛文の大火(1673)により、頂妙寺がこの地に移ります。その後、宝永の大火(1708)の時、御所周りの民家が御所の拡大に伴い町内ごとこの地に集団移住させられました。大火により罹災したお寺も55カ寺この地に移りました。歴探でこの地区がありましたので、詳細は資料を見てください。

橋を渡り少し東に行くと、「京華堂利保」というお菓子やさんがあります。武者小路千家、官休庵の茶菓子として仕立てられたお菓子が並びます。麩焼き菓子「濤々」(とうとう)、「しぐれ傘」など秋から美味しく頂ける季節菓子です。
以前、二条通りになぜ菓子屋が集まるのかと言う話をしましたが、川を渡っても続きます。

京華堂利保
京華堂利保
銘菓「しぐれ傘」
銘菓「しぐれ傘」

二条通りの北側には平安時代、北殿、南殿のあったところで、上皇たちの住まいでもあり、平治の乱では攻撃の場所でもありました。
今回は東大路に行く前にタイムアップになりました。

報告:田村専務理事
(写真撮影:熊谷喜輝)
(広報部:熊谷喜輝)

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