活動内容

丹波支部活動報告 「中川小十郎ゆかりの丹波国馬路村の史跡を訪ねる」(16.6.26)

丹波支部活動報告 「中川小十郎ゆかりの丹波国馬路村の史跡を訪ねる」(平成28年6月26日)

都草丹波支部 井上享一

今回、亀岡の先人である「中川小十郎」の生誕150周年に当たり、丹波支部として首記行事を催しました。本部からは小松理事長、熊谷副理事長、藤井事務局長、鹿田理事のご参加をいただき、支部のメンバーとして中島さん、岩城さん、井上(かおり)さん、阪東さん、藤田さん、川田さん及び私(井上)の総勢11名となりました。
さらに特別に、中川小十郎の親戚筋に当たる中川綱彦様のご自宅(築250年)をお借りして、綱彦様ご本人に加えて、「中川小十郎先生亀岡顕彰会」常務理事の中川茂雄様と亀岡市文化資料館学芸員の上甲様にも貴重なお話を伺うことができました。

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中川小十郎については、立命館大学を創設した人物としてご存知の方も多いと思いますが、それに到る逸話として、実は小十郎の父、中川禄左衛門及び馬路郷士の戊辰戦争における活躍が、大きな背景としてあったということがわかりました。特に、西園寺公望が慶応4年1月5日に山陰道鎮撫総督として直接馬路村に赴いたときに、中川禄左衛門、人見龍之進等は丹波弓箭組を編成して供奉した経緯については、司馬遼太郎も「世に棲む日日」という本に記しています。禁門の変後の長州藩士の動向と馬路郷士のつながりについては、司馬さんは軽く触れるにとどめていますが、なかなか奥深いものがありそうに感じられます。それはともかく、約3か月にわたる山陰道鎮撫使の行程の中で、中川家と西園寺公望との主従関係は緊密となり、禄左衛門の長男小十郎は、西園寺の秘書官として重用されることになります。
毎年10月22日に行われる「時代祭」行列には、先頭は山国隊で有名ですが、最後列の弓箭組列は、今もこの丹波馬路から奉仕されています。写真の真ん中に座っておられる中川綱彦様も昨年までは行列で馬に乗っていたとおっしゃっていました。
馬路町には当時の様子をうかがうことのできる史跡がまだまだ残っていて、中川綱彦様のご案内で見学することができました。

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「丹波国馬路村」の史跡を訪ねる-行程表

1. 中川綱彦氏邸出発
2. 馬路町先人顕彰碑
 ① 戊辰唱義碑
  西園寺筆の篆額「清聲千古」は、「素晴らしい名声を永久に伝える」という意味で、馬路の人々の貢献をたた
      えたものである。
 ② 中川謙二郎顕彰碑
  西園寺の山陰道・北越鎮撫に同行。
  仙台工業学校(のちの東北大工学部)初代校長
  東京女子師範学校(のちのお茶の水女子大)校長
 ③ 中川小十郎顕彰碑
  中川禄左衛門の実子、武平太の養子、中川謙二郎の甥
  東京帝大で学び、夏目漱石、正岡子規らと同級生。
  西園寺公望文相、首相の秘書官を務める。京都帝大創設の事務局長。
  京都法政学校(立命館大学)の設立。
3. 中川禄左衛門宅跡
 長屋門が残っている。周りに濠をめぐらし、環濠集落の形跡がみられる。
 中川小十郎の生家。
4. 馬路陣屋跡
 馬路の領主であった、旗本杉浦氏の代官所跡。
 元禄11年(1698)から杉浦氏の領地となり、幕末に陣屋ができている。
 明治以降は小学校となり、現在に至っている。
5. 長宮
 出雲大神宮の遥拝所   「眺めの宮」が転じて「長宮」となった。
 元馬路の中心地で、制札(高札)が立てられる場所
 愛宕道(巡礼道)と筏道(亀山道)の交差点
6. 中川武平太旧宅
 中川小十郎の育った家(6歳で武平太の養子となった。)
7. 人見龍之進旧宅
 西園寺公望の本陣が置かれた。
8. 典学舎跡
 江戸時代末の家塾 (塾長:中條侍郎) 娘(梅野)が後の三輪田真佐子(三輪田女学校創設者)

1中川綱彦邸
1中川綱彦邸
2-1戊辰唱義碑(清聲千古)
2-1戊辰唱義碑(清聲千古)
2-2中川謙二郎顕彰碑
2-2中川謙二郎顕彰碑
2-3中川小十郎顕彰碑
2-3中川小十郎顕彰碑
3中川禄左衛門宅跡
3中川禄左衛門宅跡
4馬路陣屋跡
4馬路陣屋跡
5長宮
5長宮
6中川武平太旧宅
6中川武平太旧宅
8典学舎跡
8典学舎跡

写真撮影:熊谷喜輝
広報部:熊谷喜輝

 

 

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