活動内容

第39回歴史探訪会・ガイド研修会~智積院の魅力と秀吉の夢の跡を訪ねて~(12.10.3)

 

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★智積院 「利休好み」の名庭 国名勝 中国の廬山を象った築山と滝石組

 

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★大書院 祥雲寺時代の面影が感じられる

 

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★智積院総門東側  ここから今日はスタートします!

 

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★明王殿 「麦つき不動」ともよばれる不動明王が祀られてます

 

 
第39回歴史探訪会・ガイド研修会~智積院の魅力と秀吉の夢の跡を訪ねて~(12.10.3)

 

 

◆日 時:10月3日(水)午後1時~
 
◆ 参加費:1000円
 
◆参加人数:49名
 
◆コース:智積院集合⇒新日吉神宮⇒豊国神社⇒方広寺
 
 
 
 夏を思わすような暑い日になりました。49名もの多くの方たちが、智積院に集まってくださり、汗をふきふき出発しました。
今回はガイド研修を兼ねていますので、お寺の歴史だけでなく、一般的なガイドの知識や技術にも力を入れて回りました。
真・行・草の区別、門の種類、瓦の種類、3分間でどれだけ話がまとめられるかの実演もありました。
岩下志麻のコマーシャル撮りをしたという書院、ここから見るお庭はパンフレット以上に素敵でした。涼しい風が心地よい時間を作ってくれます。おもわず寝込んでしまった方もおられました。(理事長起こさないでゴメンナサイ)
長谷川久蔵の桜図、うすくらい部屋の中でもポッと浮き上がるような花の様子が、四百年前の彼の息吹が聞こえるようでした。
新日吉神宮、いまひえじんぐう、読めませんよね、神社が神宮に昭和になってから変更されたとは驚きでした。しかし、本当の驚きは、この神社(当初)が権力者の思惑により振り回されたと言うことです。秀吉の夢を家康はことごとく邪魔をします。神社の地所も広くなったり狭くなったりします。この闘争が遠い昔の物語と思っていたところ、実はつい最近、明治30年に豊臣、徳川の戦いが再来したと聞いて驚きました。豊臣の旧大名の子孫が豊国廟の復興をはかり、神社の地所も現在地に移されたということです。三百年前の恨みが明治になって晴らされたのです。このような傷跡も歴史なのです。
豊国神社では国宝の唐門の前で、歴史よりも桐紋の話や礼拝の仕方などに盛り上がりました。
方広寺では、鐘の前で、豊臣を滅亡に導いた「国家安康 君臣豊樂」の銘の説明を受けました。
駄じゃれについては火事に引っ掛けて、半焼としただけで、面白いと思ってくださればそれで十分です。
方広寺の公園で昔ここに大仏殿があったと言ってもなかなかイメージがわきません。
秀吉が建設以来、大仏が無いほうが期間的にはるかに短いのです。早く復元されないかと思うのは私だけでしょうか?ジャスト4時に散会しました。短い距離でしたが内容の濃い歴訪会になったと思います。
                                                                   (記事:田村光弘 専務理事)
 
 
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★新日吉神宮 楼門  法住寺の鎮守社 武富幸治会員の興味深いお話を真剣に聞かれる会員

 

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 ★新日吉神宮の豊国神社

 

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★樹下社 徳川家全盛にあってもひそかに秀吉(木下)を祀ったもの

 

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    ★林 寛治監事の見事な語り口にいつものことながら聞き入ります

 

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★本殿南側 

 

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★豊国神社  後陽成天皇から「豊国大明神」の神号を与えられた  鍍金の飾り金具がきらめく豪壮な唐門!

 

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       ★方広寺 中江好喜理事による講習

 

 

(写真協力 林 寛治監事・海道ただかず会員)

(事務局 小松香織)

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