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第94回研究発表会報告、菊井 俊彦会員、岡田 英三郎 会員(18.4. 27)

第94回研究発表会報告、菊井 俊彦会員、岡田 英三郎 会員(18.4. 27)

◆日 時:平成30年4月27日午後1時10分~午後4時00分

◆場 所:ひとまち交流館 京都 3階

◆研究発表:1. 「押小路通を歩く」 菊井 俊彦 会員

      2.「すぐき漬け」 岡田 英三郎 会員

◆参加人数:30名

 第1部は、「押小路通を歩く」 菊井 俊彦会員です。

 今日のお話は、森幸安の寛延4年(1751)3月4日作図とする『遷転新地地図』に「宝永五戌子年(1708)、
押小路通、東自二烏丸一、西至二油小路一、四町間開二街路一並二町家一(中略)(今尚自二油小路一西不レ通也)」と書かれていたことから出発しました。

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これを江戸時代の絵図で確認してみました。『元禄十四年実測大絵図』〈元禄14年(1701)〉には、烏丸通から堀川通までの押小路通が描かれていません。二条通から御池通まで各南北通には二町続きの町並みが並んでいます。しかし、『新板増補 京絵図 新地入』〈宝永6年(1709)〉には、烏丸通から油小路通までの押小路通が描かれていて、その通りの部分に「この道筋 子〈宝永5年〉ノ三月いご明ク」と注が記されています。このことから、烏丸通・油小路通間の押小路通が宝永の大火後の都市開発によって開かれたことがわかります。それでは、油小路通・堀川通間はなぜ開通しなかったのでしょうか。ここには秀吉の頃から武家屋敷が置かれ、江戸時代に入っても、幕末まで土井家の屋敷地となっていたようです。その結果、明治に至るまで開削されませんでした。

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 このことは現在の押小路通沿いの町割りにも影響しているようです。烏丸通以西の押小路通には横町がありませんが、烏丸通以東の町割りには横町が形成されています。烏丸通以西では南北二町の町並みの痕跡が町名にも表れています。現在の町名を見ますと、一つの町名が押小路通の上と下で使い分けられているのがわかります。『元禄十四年実測大絵図』の南北二町続きの町並みの表現に一致していると思います。

 次に、このような状況がなぜ生まれてきたのかを考えてみます。律令制のもとでは公卿も方一町以上の屋敷地は持てないことになっています。しかし、『よみがえる平安京』の平安京変遷図の平安前期に藤原冬嗣・基経の閑院が二町規模で描かれています。閑院の位置は『拾芥抄』に「閑院(二条南・西洞院西一町、冬嗣大臣家)」〈東西40丈、南北48丈〉と記されています。既に南北48丈ですから押小路通は直線的には通らないことになります。続いて、平安京変遷図の平安中期では、東三条殿・閑院・堀河院が押小路通を遮断するように並んでいます。

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平安京変遷図の平安後期になりますと、三条三坊七町の一町規模の鴨院が南北二町の邸宅になっていきます。また、三条三坊十町の押小路殿は承久の乱後、二条家の本邸となって二条殿と呼ばれるようになりますが、織田信長によって南北二町の二条御所に拡張されています。

 以上のように、押小路通には南北二町規模の大邸宅がひしめいていました。しかし、それぞれの邸宅にも時期的な盛衰があり、衰退期の都市開発によって町屋が建ち並ぶことがあったと思われますが、押小路通のイメージが失われていたり、南北二町のイメージに引っ張られたりで、押小路通の開通は宝永の大火後の全体開発まで持ち越されていたのでしょう。(会員 菊井 俊彦)

 


 

第2部は、「すぐき漬け」 岡田 英三郎会員です。

京都を代表する漬物といえば、“千枚漬け”“しば漬け”そして今回テーマとして取り上げた“すぐき漬け”である。

“すぐき漬け”は、私がフィールドワークとしている深泥池地区と大きな関わりがある。

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今回の発表では、前半で“すぐき漬け”の一般論を話し、後半部では近年発掘された資料を紹介した。

① “すぐき漬け”は、一軒の農家が、播種から製品化まで行う(分業はない)

② 黒川道祐『日次記事』に初出する「酢茎配(すぐきくばり)」の実態が、成田道泰氏の研究によって
  明らかになった

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③ 明治以降に、上賀茂社家から開放された“すぐき漬け”の改良に、深泥池地区の住人の大きな貢献があった
  明治三十六年第五回内国勧業博覧会に入賞し、その賞状・賞牌などが深泥池地区にのこされていること

④ “すぐき漬け”を振り売りしていた桶やその実態の一部が深泥池地区にのこされていた

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ことなどを報告した。

身近なテーマであったせいか、発表後多くのコメントを頂きました。ありがとうございました。
                           (会員 岡田 英三郎)

 

                           (広報部 岸本 幸子)

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