活動内容

「第15回京都検定1級合格者のつどい」に参加して(2019.6.22)

「第15回京都検定1級合格者のつどい」に参加して(2019.6.22)

「第15回京都検定1級合格者のつどい」は6月22日に挙行された。会場は、3年前10棟が国宝指定された八幡市の石清水八幡宮。
合格者106名のうち66名が参加、こころなしか女性の多さが目に付いた。参加者の最高齢は、何と85歳とのこと、私が同じ歳になればとても無理だと思い感心。

私は過去石清水八幡宮を数回拝観したことがあった。いつもは歩いて登るのだが今回初めて、登りだけケーブルカーを利用した。6月19日にリニューアルされたばかりでぴかぴか。満員の客を乗せ山頂に向かった。

開始前、一人の参加者が都草の大村隆清さんのところに駆け寄って来た。「都草の模擬試験で厳しい添削をしてもらったおかげで合格できました。」との感謝の弁。東京からの男性の参加者だった。都草を誇らしく思った瞬間だった。

11:30になり、2グループに分かれ、神職による説明付きの拝観が始まった。まずは本殿の拝観。織田信長寄贈の「黄金の樋」が22mと長く黄金色に光っていることにびっくりした。次に境内で左甚五郎作としては唯一の「目貫の猿」を見学した。“目貫”は見る角度を工夫しないと見えず、必死でみんなが確認していた。

続いて社殿の外の見学。楠木正成の奉納の楠の大木が信長塀を押し、塀の一部が膨らんでいる姿があった。これを、「楠木正成と織田信長の戦い」との表現した神職の説明に思わず「なるほど」と思った。また、エジソンの石碑の前では、エジソンの生誕日と命日にはアメリカと日本の国旗が掲揚されて祭が挙行されるとの説明があった。日ごろ聞けない話を多く聞かせてもらった。若い神職のわかりやすく丁寧な説明も素晴らしかった。参加者からは、「この会に参加してよかった。」との声を聞こえた。このつどいならではのご褒美と感じた拝観であった。

京都検定委員会代表の挨拶 大村隆清会員

 

12:30拝観が終わり、いよいよ昼食懇親会。境内の清峯殿で、ゆかりの松花堂弁当をいただいた。さすが本場だけに美味しかった。初対面の人同士でも、京都検定1級受験の苦労話で盛り上った。「都草」の模擬テストを受験した人も多かった。また既に入会して、歴史探訪会などに参加している人もおられた。大村さんの「都草」の説明が始まると全員が箸を止めて熱心に耳を傾けていた。

14:30過ぎ懇親会の席の最後に、東京からの出席者の一人から東京に在住の10名位ほどが集まり、会を持とうとの提案があった。このような機会をきっかけに人的交流が始まるのは素晴らしい。「都草」も東京の合格者にも更に役立つようなことができればよいと思った。京都検定は、座学にとどまらず人脈・知識のネットワークができるのが大きな魅力だ。更に、「京都」という共通のキイワードで、人脈づくり・知識集積の中核として「都草」が今後もますます発展・貢献出来たらと改めて思った。

 

最後に蛇足だが、石清水八幡宮八幡宮に関し、ふと思い出したことを書かせていただきたい。

私が一昨年、京都産業大学の特別客員研究員の研究テーマとして「明治維新と京都の文化財」を研究調査していたときの話である。石清水八幡宮は明治新政府の「神仏分離」で多くの坊は失われ寺院の姿はとどめていない。しかし、安置されていた仏像の多く他は寺院で残っていることがわかった。この中で私が一番印象に残っているのは、誓願寺の洛陽六阿弥陀仏である。この仏さまは石清水八幡宮(極楽寺)から移されたものだという。面白い逸話が残っている。それは次のような話である。和泉式部が子供を亡くし苦悩し性空上人に、救いを求めたという。上人は「石清水八幡宮の八幡大菩薩に詣でなさい。」と言ったそうである。そこで、式部は七日七晩祈ると老僧が現われ、「誓願寺の阿弥陀に極楽浄土を祈りなさい。」と話した。式部は誓願寺に籠り、念仏を唱えやがて剃髪し誓願寺の近くに小庵を結んだとのことである。

この逸話を考えると、禁門の変で焼失した誓願寺の阿弥陀様の代わりに、明治維新で危うく棄却されそうになった極楽寺の阿弥陀様を和泉式部が呼び寄せたのではとの思いを巡らしてしまう。
そんなことを考えながら、瀧本坊跡などの坊跡を経て山を下り、ここちよい余韻に浸りながら家路に急いだ。

有意義なひと時を設定していただいた京都商工会議所のスタッフの皆さん、石清水八幡宮のみなさんのに深く感謝を申し上げたい。(記事&写真 高橋 信治会員)

(広報部 岸本 幸子)

 

 

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