活動内容

わくわく倶楽部(フィールドワーク)室町通を歩く(其の6)(18.12.8)

わくわく倶楽部(フィールドワーク)室町通を歩く(其の6)

日 時 : 2018年12月8日(土曜日) 13時30分~15時
参加者 : 13名
出 発 : 室町通五条下ル(大黒町)
到 着 : 新町通七条
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① 中村トユ店(下京区室町通五条下ル大黒町西側)
  看板も兼ねているお店の軒先にぶら下がる大きい箱樋が目立つトユ(樋)屋さん。たまたま店先に御主人がおられて昔の話をお聞きすることができました。お店の雨樋にはトユのブリキを加工した龍の装飾が施されているのが目を引きます。地元に伝わる龍の伝説などを期待しながら御主人に龍の由来を尋ねてみると、これは御主人が昔スイスに旅行した際に目にした装飾をイメージしたスイス仕様とのこと。さすがに京都、町場のお店でさえも西洋文化を吸収しオブジェに仕立て上げられている。
  また、昭和の頃まではこの辺りの室町通は町家がビッシリと並んでおり高い建物がなかったので祇園祭の山鉾が六条からでも見えた(この頃の祇園祭は松原通を巡行していた)お話や、終戦の年にB29が頭上から比叡山の方向に飛んで行くのが見えた(馬町空襲か?)お話などをお伺いしました。

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② 田中家・近江屋吉兵衛旧宅(下京区室町通五条下ル大黒町東側)
  元、大工棟梁「近江屋吉兵衛」の邸宅で、蛤御門の変による焼失後、明治初年に再建された建物で、現在は御身内の方がお住まいです。
  近江屋吉兵衛は、屋号を「室近吉・むろきんきち」といい、元禄期1660年頃に近江から京都室町五条へ移住し、たくさんの京町家や大規模商家の普請を手掛けた町家大工の棟梁で、祇園町南側の開発にも尽力されています。
  また、享保13年(1728)から幕末にかけて記録された田中(吉太郎)家文書(京都市歴史資料館寄託)は、京都における町屋の研究には欠くことのできない資料となっています。
  お家の前には駒寄せが残されています。表の格子や塀を保護するものです。

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③ 六条三筋町(六条柳町)
  慶長7年(1602)から寛永18年(1641)島原に移るまでの約40年間、東は室町通、西は西洞院通、北は五条通、南は六条通に六条三筋町とよばれた公許の遊郭がありました。三筋とは楊梅通(雪駄屋町通)・鍵屋町通・的場通(銭屋町通)のことで、この時期に作られた「雪駄・ちゃら・ちゃら」の通りです。
  六条三筋町の遊郭には林屋二代目吉野太夫を筆頭に林屋対馬・林屋土佐・柏屋三笠・宮崎屋小藤・若女郎屋葛城・永楽屋初音の七人衆といわれた花形遊女がいました。
  また、遊女歌舞伎はこの六条三筋町の遊女が四条河原に舞台を作り歌や踊りを演じていました。

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④ 左京六条三坊・七条三坊復元図
  平安時代のこの辺りの様子を想像してみて下さい。
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⑤ 尚徳諏訪神社(諏訪町通鍵屋町下ル下諏訪町)

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  平成20年に尚徳学区自治連合会が、宮司の死去により、下諏訪町内会に神社の土地と建物を所有する法人格を移す申請を京都市に出し、取得されました。これは非常に珍しい事例だそうです。
  この時に下京中学への統合で学校名が無くなった「尚徳」の名を後世に残すために神社の名前を尚徳諏訪神社に替えられています。
  京都市内には諏訪大社の下社・上社・御射山(みさやま)社にあたる三社が現在も揃って残っています。こちらの尚徳諏訪神社は、諏訪大社の下社にあたり御神紋も同じ「五根の新明梶」です。
  上社は、京都市下京区諏訪開町にある諏訪開諏訪神社で御神紋も諏訪大社の上社と同じ「四根の諏訪梶」です。
  御射山社は、京都市中京区東洞院通六角下ル御射山町の御射山公園の西側のビルの屋上にあるそうです。

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⑥ 真綿をかぶられた堺町地蔵(下京区室町通六条上ル堺町)
  昭和25年に木曽久次郎氏が肝煎りとなり青木邸前に祠を建てられました。それ以来、青木さんがずっと堺町地蔵のお世話をされています。

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6堺町地蔵

⑦ 六条通
  現在の六条通は道幅3mにも満たない路地のような通りで車両通行止めになっています。室町辺りは完全な生活道路になっていますが新町通から堀川通までは一昔前まで商店街だった面影が残ります。

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⑧ 日の丸漢方(下京区室町通六条下ル西魚屋町)
  明治30年創業の漢方薬局です。
  現在では息子さんが歯医者を開業していますが、歯医者の傍らでは今でも完全自社製造の漢方薬を販売されています。

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⑨ 東本願寺北側の海鼠壁・内事門・石垣(花屋町通)
  どれも荘厳な建造物です。前の御濠には立派な鯉が泳いでいました。

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⑩ 和田家住宅(下京区新町通花屋町下ル東若松町)
  1階の北側が出格子、南側を荒格子、2階は切子格子が嵌められています。明治初期の建物で、登録有形文化財に指定されています。
  和田家住宅を眺めていたら地元の通行人の方が物珍しげに話しかけてこられました。この方からもこの辺りの昔の状況をお聞きすることができました。中村トユ店の御主人と同じく一昔前までは町家しかなかったが最近は高いマンションやビルが建ち並び眺望が無くなったこと、さらに正面通からも祇園祭の山鉾の上の方だけが見えたとか、とってもノスタルジックに語っていただきました。やはり現在の京都中心部からはどんどん町家が失われてしまっているのが痛感されました。

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⑪ 大島家住宅(下京区新町通七条上ル辰巳町)
  元、縄を商う問屋さんでしたが外国からの輸入ロープに押され廃業されたそうです。重厚な黒漆喰のお屋敷で卯建も上がっています。

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⑫ 富士ラビット(下京区七条通新町西入夷之町)
  このビルは、大正14年(1925)頃(文化庁データベースより)粂田幸一郎氏によって、フォード輸入代理店とハイヤー業(現・彌榮自動車)を営む「日光社」の社屋として建てられました。
  戦後には、富士産業(現・SUBARU)のラビットスクーターの販売特約店として使われ、おそらく2002年2月以降に「なか卯」の店舗となったようです。
  社名の日光を象ったといわれる棟屋の意匠や自動車やタイヤがデザインされたステンドグラスなどオリジナル感満載のモダンな建物です。室町御池のイタリヤードのビルを思い出しました。

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平成30年(2018)は室町通を散策しました。
上京区の室町通周辺は花の御所が造営され室町幕府の政治や文化の中心地となっていました。中京区の室町通周辺では日本有数の呉服問屋が立ち並び繁栄を極め、今も祇園祭の山鉾町の中心地となっています。五条通以南には遊郭もありました。当時の面影は残ってはいませんが、政治・経済・文化の中心地に位置した歴史ある華やかな通りであったようです。
皆様1年間お疲れ様でした。

(報告:藤川由美子会員・南野匡利会員)
(写真:熊谷喜輝)
(広報部:熊谷喜輝)
   

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