活動内容

(丹波支部)明智光秀と福知山城(18.11.11)

明智光秀と福知山城

日 時:平成30年11月11日(日) 晴れ
集合地:JR亀岡駅(一部福知山城)
参加者:10名
コース:福知山城~(昼食)~御霊神社~久昌寺~長安寺

街中に聳えたつ福知山城
街中に聳えたつ福知山城

2020年のNHK大河ドラマは、明智光秀を主人公にする「麒麟がくる」ということになったそうです。そこで、早速丹波支部では福知山を訪問して光秀を偲ぶ企画を設定しました。

 今回、11月11日(日)に秋晴れの爽やかな気候の下、丹波支部の皆さまプラス2名のゲストの方々とともに、中世戦国期の歴史に思いを馳せる旅を催行しましたので、ご報告いたします。  (参加者は、丹波支部から小松理事長、熊谷副理事長、中島さん、岩城さん、井上(かおり)さん、藤田さん、川田さん、井上(享)と、ゲストの植村さん、中野さんの合計10名です。)

本日ご参加の皆様方
本日ご参加の皆様方

 明智光秀と聞いたときに、丹波との関連ではなぜ亀岡ではなく福知山なのか? そんな疑問を持たれる方も多いと思います。どちらも光秀が、丹波を平定した後、城を造り城下町を形成した土地です。そしてどちらの城も明治の廃城令で破却されました。
 ところが、福知山では昭和61年(1986)に、お城は総事業費8億円以上で復元再建されました。その多くの費用は市民の方の「瓦一枚運動」という一口3,000円の寄付によって賄われており、市の一般財源は使用していないとのことです。

石垣には色々な石を転用
石垣には色々な石を転用

 また、福知山では今でも御霊神社で光秀を神として祀っています。光秀が発行した書状がご神体となっており、市の指定文化財にもなっています。毎年8月のお盆の時期に、多くの市民が参加する「ドッコイセ祭」が催され、福知山音頭が踊られます。その歌の文句は、光秀を称え、懐かしみ、慕っている市民の感情を表わしています。

今月24日・25日に将棋・竜王戦が城内で行われます
今月24日・25日に将棋・竜王戦が城内で行われます

 全国的には、光秀というのは主君を討った逆賊の臣という評価をされるのが一般的だと思いますが、特に福知山では領民を思いやり、領民のための治政を行った名君として人々から愛されてきたのだと思います。
 それは一体何に由来するのか? 一つには、由良川の治水対策として「明智藪」を築いたことが挙げられます。それまで頻繁に発生していた川の氾濫が収まり、城下町が守られたと言われています。もう一つは、地子銭(宅地税)を免除したりして経済の発展に尽力したということです。

天守閣から見た明智藪の一部
天守閣から見た明智藪の一部

 短い期間の治政の中で、光秀が行った政策が人々の生活を豊かにし、ひいては光秀を慕う感情が現代にいたるまで脈々と受け継がれていることには、驚きを禁じえません。

「一ゑん」さんの光秀御膳
「一ゑん」さんの光秀御膳
御霊神社にて
御霊神社にて
久昌寺本堂
久昌寺本堂
小野小町の歌かけ薬師(久昌寺)
小野小町の歌かけ薬師(久昌寺)
色づく長安寺参道
色づく長安寺参道

*今回特別にお願いして、福知山をご案内いただいた方:岡部 一稔(おかべ いちとし)様
 御霊神社元宮司、福知山城内郷土資料館元館長で、現在は福知山城内の朝暉神社の宮司をされており、郷土史家として執筆活動をされています。

岡部一稔様
岡部一稔様

 (丹波支部部長 井上 享一)
写真:熊谷喜輝
広報部:熊谷喜輝 
       

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