活動内容

わくわく倶楽部(フィールドワーク) 室町通を歩く(其の3)(18.9.17)

わくわく倶楽部(フィールドワーク) 室町通を歩く(其の3)
    日 時 : 2018年9月17日(月祝) 10時~12時
    参加者 : 17名
    出 発 : 室町竹屋町
    到 着 : 室町三条

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① 信用交換所・京都本社(中京区室町通夷川上ル鏡屋町)
  企業の信用調査・信用情報誌の発行等のお仕事をされています。

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② 新宮凉亭(凉庭)居住地(中京区室町通夷川上ル鏡屋町) 
  市村会員から資料が配布されました。この原稿を書かれたのは昨年亡くなられた角田会員です。ご冥福をお祈り致します。ありがとうございました。

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③ 冷泉(れいせん)町町内図・小川珈琲の町名表示板
  とても分かりやすい町内図です。防災非難集合場所や消火栓や消火器設置場所まで一目瞭然です。それにしても1つの町の範囲が小さいです。
  小川珈琲の町名表示板珍しくありませんか。

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④ 誉勘(こんかん)商店『上誉』・一周堂(中京区室町通二条上ル冷泉町)
  (株)誉勘商店は、「千切屋百件、誉田屋九十九件」といわれた誉田屋の御一統です。享保5年(1720)創業の本家、誉田屋庄兵衛より宝暦年間(1751~63)に暖簾わけを許され、それ以来この地で260年、金蘭正絹織物の製造卸を生業とされています。現在の建物は蛤御門の変で焼失した後、明治9年に建てられたものです。
  一周堂は、以前はこちらで呉服商をされていましたが、現在はその京町家を再生され「レンタルスペース」として貸出をされています。8時間32万円からだそうです。お茶室もございます。

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⑤ 三井越後屋京本店記念庭園 (中京区室町通二条上ル冷泉町)
  延宝元年(1673)伊勢商人三井高利が越後屋呉服店を開業、江戸に本店、京都には仕入れ店が置かれました。京都の最初のお店は、室町通蛸薬師東側北寄りに、3年後には南寄りに移り、元禄4年(1691)に室町通蛸薬師西側に家屋を購入し、南寄りと共に京本店としました。お店は、ますます繁盛し、宝永元年(1704)にはこの地、室町通二条上ル冷泉町西側の950坪にも及ぶ広大な屋敷を購入し移っています。
  その後、明治26年(1893)には越後屋から合名会社三井呉服店に改組。明治37年(1904)には(株)三越呉服店を設立、昭和3年(1928)に(株)三越と商号を改め、昭和58年(1983)に閉店するまで三越京都支店としてこの地で存続しました。
  閉店後は三井不動産が敷地の一部68坪を譲り受け記念庭園を造り、340余年に及ぶ三井越後屋京本店の歴史を今に伝えています。

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⑥ 然花抄院(ぜんかしょういん)京都室町本店  (中京区室町通二条下ル蛸薬師町)
  2009年8月に開店したお菓子屋さん。看板商品は「然」カステラ 1個778円
  よって暖簾のロゴも「然」 然るべき 平成25年度に京都景観賞 野外広告物部門で市長賞を受賞されています。間口の広いこの町家は元禄13年(1700)に建てられたものです。

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⑦ 矢代仁(やしろに)『中誉』(中京区室町通二条下ル蛸薬師町) 
  西陣高級お召で有名な(株)矢代仁は、寛永3年(1775)誉田屋庄兵衛より初代誉田屋仁兵衛(矢代仁兵衛)が分家したお店です。
  昭和10年に(株)矢代仁商店に改組され、昭和22年に(株)矢代仁と現在の社名に改称されています。
  昭和16年に開校した京都府立嵯峨野高等女学校(現・嵯峨野高等学校)は、7代目矢代仁兵衛からの寄付金57万円(敷地・建築費・設備費一切)で創設されています。
  昭和11年に財団法人覚誉会を設立され、数々の社会貢献をされています。

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⑧ 森寛斎宅蹟(1814~1894)  (中京区室町通二条下ル東側) 
  森寛斎は、長州出身の画家で、円山派の森徹山に師事し養子となり、円山派の再興を託され、安政2年(1855)の御所造営では、御常御殿の杉戸に「帰去絵」「赤壁」を描いています。その一方で討幕運動に参加、自宅を勤王志士たちの密会の場とし、自身も密偵として幾度も京都と長州間を往復しています。6歳の吉田松陰から頼山陽の「日本外史」を借りたことを、常に自慢していたようです。どや…
  維新後は、如雲社に参加し、京都府画学校の教授を務めるなど京都画壇の重鎮として活躍し、帝室技芸員にも任命されています。門人の育成にも尽力し、この石標も門人の山元春挙らの寄付で建てられています。

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⑨ 西村庄治商店・亀屋廣保 (中京区室町通二条下ル蛸薬師町)
   (株)西村庄治商店は、文政11年(1828)美術織物商として創業されましたが、現在は和装雑貨・和生地の卸商に変わられているようです。
  橘の看板燈籠が平成27年度に京都景観賞の屋外広告物部門で歴史的意匠屋外広告物に指定されています。
  南隣の亀屋廣保は、大正4年に亀屋末廣(中京区姉小路烏丸東入)より暖簾分けされた御干菓子の専門店です。

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⑩ 二条殿御池跡(中京区室町通押小路下ル東側)
  この周辺には南北朝時代に太政大臣を務めた二条良基の広大な邸宅「二条殿」があり、その庭に龍躍池と呼ばれた美しい大池があったそうです。池には点在する島や5尺(1.5m)の滝があり、雷雨の時はこの滝から白龍が天に昇ったといわれています。すぐ南の「御池通り」の御池はこの龍躍池に由来しているともいわれています。
  天正5年(1557)には,この美観を好んだ織田信長が移り住み、2年後に正親町天皇の皇太子誠仁親王に献上しています。天正10年(1582)本能寺の変の際には織田信忠がこの地で自害し、この時、二条殿は焼失しています。

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⑪ 御池幸登ビル(イタリヤード旧本社ビル)(中京区御池之町)
  平成4年(1992)に竣工したイタリヤード旧本社ビル。現在は御池幸登ビル。
  1階の太陽のレリーフは北村陽次郎社長の「陽」にちなんだもので、屋上の2つの筒型ヴォールトは人間のセンスを司る「右脳」と合理性の象徴といえる「左脳」をデザインしたものです。設計をはじめ施工もすべて京都の業者により造られています。
  地下鉄東西線の開通計画のあった「新しい御池通り」と大小の呉服問屋が立ち並ぶ「古い伝統の室町通り」の交差点を古いものを残しながらそこへ新しい息吹を注入し、永遠に生き続ける京都に見立ててこの場所が選ばれたそうです。

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⑫ ビル葆光(中京区室町通御池下ル円福寺町)
  昭和48年竣工のシンボルマーク「誉」が付く(株)矢代仁の「ビル葆光」。
  「葆光」とは荘子の斉物論に書かれている言葉で、「包まれた宝のひかり」すなわち、すぐれた知恵・才能をうちに隠し表にあらわさないこと だそうです。
現在このビルには、財団法人覚誉会と誉仁(株)と京都市市税事務所が入っています。

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⑬ 永楽屋細辻伊兵衞商店本店(中京区室町通三条上ル役行者町)
  織田信長の御用商人として活躍し「永楽屋」の屋号と細辻の姓を拝領、その後元和元年(1615)に綿布商として烏丸三条で創業。現在は手ぬぐいや風呂敷などを商う創業400年を越える日本最古の綿布商です。この本店ビルは平成2年竣工。2階には町家手拭ギャラリーがあり、貴重な手ぬぐいが展示されています。見学無料です。

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⑭ 五色の辻(室町通三条)
  室町三条の北西角の植込みの中に吉井勇の歌碑があります。
   『洛中の 五色の辻に 家居して み祖の業を いまに つたふる』
  江戸時代、この周辺は千切屋御一門の商家が立ち並び、この室町三条の辻は四方に建つ千切屋の壁の色が、北西が黒白・北東が青・南東が赤・南西が黄の五色だったことから五色の辻と呼ばれ、特に賑わいを見せていたようです。今はこの地に千切屋はありませんが、この歌碑によって往年の姿を いまにつたふる…。 

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報告:藤川由美子会員

(写真:熊谷喜輝)
(広報部:熊谷喜輝)     

 

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