活動内容

わくわく倶楽部(フィールドワーク)室町通を歩く(其の1)(18.4.14)

わくわく倶楽部(フィールドワーク)室町通を歩く(其の1)

日 時 : 2018年4月14日(土) 13時30分~15時30分
参加者 : 17名
出 発 : 京都市営地下鉄 鞍馬口駅から
到 着 : 上京中学校まで 

前回までの『松原通を歩く』は、11月19日に六道珍皇寺から出発し、3月18日の壬生川通周辺で終了しました。松原通は平安時代の面影が色濃く残るミステリーロードでした。

今回からフィールドを室町通に移し、室町通鞍馬口より室町通を南に向かいます。

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①【薩長同盟締結地】近衛家別邸・御花畑御屋敷跡 小松帯刀寓居跡 
 2016年1月に鹿児島県歴史資料センター・黎明館の学芸員の町田剛士さんが同館所蔵資料の中から「御花畑絵図」を発見され、続いて同年5月、西郷隆盛研究家の原田良子さんが京都府立京都学・歴彩館に保管されている明治4年の行政文書「貫属士族受領並拝借買得邸一件」の中から近衛家買得地と記載された文書と添付図を見つけられ、黎明館に残る「御花畑絵図」と一致したことから、薩長同盟締結の地とされる『近衛家別邸・御花畑御屋敷・小松帯刀寓居跡』は、京都市上京区室町通鞍馬口下ル森之木町に特定されました。

図1-b

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②国威宣揚の碑 (森之木町)
 昭和15年頃に紀元2600年を記念して、日本全国に建てられた国旗掲揚台の1つです。
 国旗掲揚台には国威宣揚の文字が刻まれています。文字の意味するところは、大日本帝国が大東亜共栄圏をつくりアジアの盟主として君臨するために、国家の勢力を内外に示し士気を高めるというもので、昭和12年に始まった日中戦争以降、国家が戦争遂行を最優先の目標とした時代に造られた負の遺産です。毎日どのような様子で国旗を掲揚されていたのでしょうか。
国威宣揚の文字はどちらの碑も著名な方が揮毫されていますが、こちらは…。

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③生谷家住宅主屋 (室町通鞍馬口下ル竹園町)
 国登録有形文化財・市景観重要建造物歴史的風致形成建造物・歴史的意匠建造物に指定
 お掃除中のご当主生谷準之助さんに偶然お会いし、主屋の中に入れていただきました。
 生谷家は、室町時代の御家人でしたが、天正年間に所司代の命で賀茂川築堤を成し遂げられ、愛宕郡小山村を拝領し、その小山村で採れた青物の問屋を明治30年頃まで『万や』という屋号で営んでおられました。今は下鴨に住まわれ、主屋は貸出をされています。

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豪商『万や』生谷家は、松平定信の書・荻生徂徠の書・山岡鉄舟の書・勝海舟の書・新選組(島田魁)発注の刀剣など、たくさんのお宝を所有されています。

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④河田賢治氏邸宅
 1928年に起きた三・一五事件で検挙され15年間投獄。(28歳~43歳)
 1949年衆院選に出馬し当選、京都府初の共産党国会議員になるが、1951年に公職追放。
 1958年蜷川虎三氏の対抗馬として府知事選に出馬するも落選。
 1968年68歳で参院選に出馬し当選、共産党参議院議員2期80歳まで務められました。

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④貴重な仁丹の木製看板『室町通 上御霊前下ル 上柳原町』
 仁丹の木製看板は、明治43年から大正8年までの間に設置され、現在14枚が残っているようです。(うち1枚は室内で保管)。こちらの木製看板が現在まで残った理由の一つは、以前看板の前にお地蔵さんの祠があり、看板が祠に隠れていた為とか?お役目が…
よく見る琺瑯の看板は大正14年頃から設置が始まり、700枚弱の看板が現存しているそうです。2010年11月27日に「京都町名琺瑯看板プロジェクト」が始まり、今後新たな仁丹の看板が京都の街角に取付けられてゆくようです。

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⑤室町小学校 4本の石柱

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⑥みまもり地蔵(室町通上立売上ル室町頭町)
 室町小学校の南にあるテラヲ貨物店さんが京仏師・今村宗圓氏に依頼され造られた木製の『みまもり地蔵』をお店の前に祠を建ててお祀りされています。
 5年前より室町小学校の傍らで、登下校の安全を見守っています。

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⑦『従是東北 足利将軍室町第址』の石碑(今出川室町)
 足利将軍室町第(殿)跡地の南西の角に建てられた石碑です。

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 通称「花の御所」。この名称は1377年に焼失したこの地にあった崇光院仙洞御所に由来。
 1378年3代将軍義満がこの地に室町第を築造。北は上立売通、東は烏丸通、南は今出川通、正門があった西は室町通に囲まれた広大な敷地で、当時の内裏の2倍の規模を誇り、壮麗な殿舎が建ち並び、1町規模の池には鴨川から水を引き滝もあったようです。義満以降、6代将軍義教・8代将軍義政・9代将軍義尚が再建をしていますが、上杉本・洛中洛外図屏風に描かれている花の御所は、12代将軍義晴が1542年に再建したものです。

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⑧福長町にある井戸を守護する神様・福長神社(福長稲荷)
 天明の大火で焼失し、縮小されていますが、なかなかの由緒のある神社です。

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⑨本田味噌本店
 天保元年(1830年)、もと丹波の杜氏であった初代丹波屋茂助氏が麹作りの腕を見込まれ、禁裏御所の御用命を受け、味噌を献上したことから始まり、創業以来、禁裏御所御用達として、もっぱら宮中に納められていましたが、明治維新後は、一般にも商いを広げられています。江戸が東京と呼ばれ、京都を西の京と呼んだことから、こちらの味噌は「西京味噌」と呼ばれるようになったそうです。

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⑩富岡鉄斎邸跡
 明治14年(1881年)、煎茶小川流創始者・小川可進旧宅の前を通りかかった鉄斎さんが、「門のところの楓が紅葉して、風情が佳かった」と気に入られ、南隣にあった絵師・横山華山旧宅と併せて購入されています。大正11年(1922年)には、鉄筋レンガ造3階建の書庫を新築。『魁星閣』と命名され、画室の『無量寿佛堂』を設けられています。翌年には住居も新築され、「人は一色ではいかん、色々のものを摂取して、マダラなのがよい」と『曼荼羅窟(まだらくつ)』と命名されています。建物は現在も残され、京都府総務部府有資産活用課が管理されています。

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⑪上京中学校
 室町通に面したレンガ塀は、落ち着きを感じます。強度が高いといわれるイギリス積みです。ところで、
 上京中学校の住所は、一条通室町西入東日野殿町395・396
 本田味噌本店の住所は、室町通一条上ル小島町558
 富岡鉄斎邸跡の住所は、室町通一条下ル薬屋町424・425・429・430
 京都の住所表示には、何か法則があるのでしょうか?

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 室町通りを歩く其の1は、上京中学校で終了しました。

(報告:藤川由美子会員)
(写真:熊谷喜輝)
(洛中洛外図:アスニー)
(広報:熊谷喜輝)     

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