活動内容

第61回 都草歴史探訪会 伏見深草支部~墨染、伏見大仏から初夏の深草の里を歩く~(15.6.27)

第61回 都草歴史探訪会 伏見深草支部~墨染、伏見大仏から初夏の深草の里を歩く~

日      時 平成27年6月27日(土) 曇
集合場所 京阪電車「墨染駅」西改札口
参  加 費 会員500円 非会員700円
参加人員 43名(会員31名・非会員12名)
コ  ー ス 墨染寺→欣浄寺→橦木町→伏見インクライン→栄春寺→海宝寺→京都教育大学(まなびの森ミュージアム)

梅雨の真っ只中、前日からの雨もあがり暑くもない曇り空、そのなか43名ものご参加を頂きました。途中の少雨もすぐに止み、気持ちよく最後まで行く事が出来ました。
まず《墨染寺》、ここでは三代目の「墨染桜」がある。この初代の桜が、千葉県(貴船神社近く)の天然記念樹で八百年を経て「深草の墨染桜」として今もある。これは西行法師が、杖にしていた初代のものを植えられた、と伝わるという。

墨染寺にて事前説明(森支部長)
墨染寺にて事前説明(森支部長)
墨染寺の説明(桜井さん)
墨染寺の説明(桜井さん)
墨染寺(桜寺)軒瓦
墨染寺(桜寺)軒瓦
墨染付近の通りの説明(武富さん)
墨染付近の通りの説明(武富さん)

《欣浄寺》では、住職に寺の説明を頂きました。「伏見大仏」といわれ、釈迦・阿弥陀・大日如来の合体仏である、日本最大級の木造といわれていると。しかし表面も劣化が激しく心配だと参加者の声。
道元禅師が曹洞宗を開き、深草(安養院)にて教化する。安養院が、天正年間現在地に移り欣浄寺となる。又、ここは深草少将の邸宅跡と伝わり、小町姿見の池がある。この池だが、巨椋池の残りの貴重な(生物学的にも)一部である。若い住職に確かめると聞いているとのことだが。

欣浄寺(安田さん)
欣浄寺(安田さん)
欣浄寺本堂にて住職のお話
欣浄寺本堂にて住職のお話
欣浄寺大仏
欣浄寺大仏

《橦木町》の名は、両替町通がT字型に突き当たるから付いた。大石内蔵助が遊んだのはこの廓。祇園一力は未だ出来ていない。ここの「よろづや」の碑、万屋が一力となる。

伏見撞木町
伏見撞木町
撞木町(大西さん)
撞木町(大西さん)

《伏見インクライン》 琵琶湖疏水と城の外堀濠川との落差約15メートル、明治28年~昭和17年迄多くの船で賑わった。24号線沿いの傾斜地がその跡地。

墨染インクライン(石井さん)
墨染インクライン(石井さん)

《栄春寺》 伏見最初の曹洞宗寺院、伏見城血天井があるとされるが、確証が未だないため非公開。伏見城外堀の土塁が墓地に約6メートル~高さで残っているのを見学する。

 栄春寺(石田さん)
栄春寺(石田さん)
栄春寺墓地(角田さん)
栄春寺墓地(角田さん)

《海宝寺》 伊達政宗の上屋敷がこの「桃山正宗町」に、約1千人が常駐した。(下見の時、正宗の大位牌を拝見)大丸の下村彦右衛門(創業者)と黄檗宗の中国産商品との話。

海宝寺(林さん)
海宝寺(林さん)

ここで全員の集合写真を撮る。そして伊達街道を北へ十数分歩く。

海宝寺山門前にて記念写真
海宝寺山門前にて記念写真

《京都教育大学-まなびの森ミュージアム》 ここは元陸軍第19旅団司令部跡、元学長室であり、平成22年復元した。ここでは、館長の沖花教授にお願いして、明治9年からの大学の歴史や展示品(化石~楽器他)の説明を頂く。幅広い興味や知識に久しぶりに浸った思いだった。

京都教育大学教育資料館(まなびの森ミュージアム)館長さん
京都教育大学教育資料館(まなびの森ミュージアム)館長さん
まなびの森 第19旅団司令部
まなびの森 第19旅団司令部

最後に「軍都」であった伏見・深草の半世紀を伝え、旅団・師団の組織から陸軍の壊滅まで、戦後深草が文教都市(3大学を含む)へと生まれ変わる。平和の尊さを思い感謝しつつ締め括った。
                                 伏見深草支部 支部長 森   幸弘

京都教育大学資料館前にて同大学等の跡地の説明(森支部長)
京都教育大学資料館前にて同大学等の跡地の説明(森支部長)

(写真撮影:林 寛治会員・奥本徹夫会員)
(広報部 熊谷喜輝)

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