活動内容

第55回研究発表会(13.11.5)

第55回研究発表会(13.11.5)

◆日 時:平成25年11月5日午朝9時10分~午後12時00分
◆場 所:ひとまち交流館 京都 3階
◆研究発表:1.『京の名水辞典』の製作に向けて 鈴木康久
                 (カッパ研究会世話人・水文化研究家)
      2.「愛宕 月輪寺の歴史価値について」 中村正司 会員
◆参加人数:27名
◆参加費 :500円   一般参加費 :700円
 
 第1部は京都府の職員で、またカッパ研究会・水文化研究家として『水が語る京の暮らし』等の書籍の出版や4年半の京都新聞の連載『京の水案内』の執筆活動もされている鈴木康久(みちひさ)様です。
2009年に「京の名水」、2011年に「戦前の絵葉書でたどる京都」の発表をしていただき3回目の研究発表になります。
 

4513-DSC03014.jpg

 
 水の研究を始めたきっかけは第3回世界水フォーラムを契機に京都の水文化を研究し、その成果を伝える「カッパ研究会」を設立したのが始まりで、調べたことをまとめた本を書くということを基本に活動しています。現在は水道水と名水の違いなどを書いています。
今回は水の研究をしているうちに一生残る辞典を製作したくなりました。そのためにはより多くのデーターが必要なので都草の皆さんの知識を教えて頂きたいと思い発表にきました。
読むと地図がなくても現場に行ける井上頼寿著『京都民俗志』という凄い本を超えるものを製作する野望を持っています。現在京都の名水をリスト化すると500ヶ所あります。これらの位置、伝承、文献での記載内容、写真、現在の状況解説をしたいと思います。
 

4514-DSC03019.jpg

 
 水質を調べると場所が判ります。硬度は流れてくる間に変わってきます。江戸時代には番付け表があり風景の良いところを順番に入れてます。京都には井戸がたくさんあります。最初の井戸は木組から始まっています。鎌倉時代に石組になりました。溜まっている水を井水、流れのある水を湧水と言います。京の名水は時代に応じた特徴があります。
平安時代は観光地としての名水があり『蜻蛉日記』の 走り井や清少納言が『枕草子』で記した九つの井があります。また歌の中で詠まれているものが名水として選ばれています。
鎌倉から室町期は物語を伝え始めた名水で、使われているものとしては茶の湯の水があります。江戸期には地域の自慢としての名水があります。双六の46マスの中に名水が8ヵ所あります。現在は健康によい水やおいしい水に関心が集まっています。
 

4515-DSC03043.jpg

 
 名水と食の関係ではお酒があります。佐々木酒造の金名水・銀名水やキンシ正宗の桃の井があります。京都で造られるお酒はミネラルが少ないので柔らかいお酒になります。伏見の水は若干ミネラル分が多く含まれています。お茶の名水としては柳水と醒ヶ井が有名です。お茶に合う水は煎茶には炭酸ガスを多く含みミネラルが少ない方が色の出方よい。玉露には炭酸ガスは少なくミネラルがあった方がよい。抹茶には炭酸ガスもミネラルも多い方がよい。という調査結果がでています。
井戸水と硬水と水道水で豆腐を作り味比べをしましたがどれもおいしいという結果がでました。
来年の1月には昆布を使っての味比べをします。現在の地下水を利用してのさまざまな試みを楽しんでいます。
 
毎日、口にする水から京都に伝わる数百の名水の伝承を見る楽しいお話をありがとうございました。
(記事 岸本幸子)
 

 
 第2部は、中村正司会員より、「月輪寺の歴史価値 (平安京創始までの神仏史)」の発表です。わたくしは、歴史上、重要な京都などの神社・寺院を訪問し、宮司・住職と交流、また京都大学OBの歴史・地名関係の教授とも面談、研究会にも参加されている活動家です。その成果は、京都を主軸とした日本の信仰、各文化、人物を総合的に年表データ化されており、今回の発表にも活用しています。「月輪寺」のことは、平安時代に至る歴史をたどる過程で、その存在を知りました。
昨年2012年8月、同寺の豪雨被災後、ご住職とご縁を持たれ支援、歴史価値を広く伝えるため、パンフレット・参拝案内(地図)を作成、提供しております。
 

4516-DSC03044.jpg

 
 今回の発表は、冒頭、以上の紹介から始まりました。 発表内容は以下の通りです。
月輪寺、愛宕開山は平安京前夜までの歴史、そしてその後の信仰は平安から鎌倉、近世まの京都の歴史を残し、その理解に繋がります。「大和葛城・鴨氏の役小角」と、「越前秦氏の泰澄」が、その起源に深く関わっています。その氏族の歴史理解のためには、古来縄文からの暮らし・信仰や、弥生・神話の神々から古墳時代への渡来、列島での遷移把握が必要です。幸い、近年発展した考古分析や、神社文献公開、増えてきた出版物を総合することで、徐々に解き明かされ鮮明となってきました。
 さて古来、山代の地も、狩猟に恵みをもたらす山河に暮らした。 次に、稲作・鉄器・銅鐸などの文化をもたらした人々は、出雲から渡来し、丹後・亀岡から大和に至り、三輪山山麓を本拠としました。それらの足跡は、水・鉄をもたらす山を崇めた、山代・淡海・大和周辺の「磐座」、弥生遺跡として明らかとなりました。その内の、一集団が奈良盆地 南西に暮らした葛城・鴨氏であり、 今日、「高鴨神社」として痕跡する一帯に暮らし、やがて新しい勢力流入を受け北上し山代に至ります。 その信仰を天武天皇が整え、天智天皇が都の護りとした上賀茂神社の地であります。同じく北上したのが、山岳修験道の「役小角」、
 一方、古墳時代の多くの渡来人の1つ、秦氏は主に河内から山代に至るが、日本海側、越前から淡海を経て山代に南下した秦氏の一人が「泰澄」です。秦氏の合流は、日吉・松尾大社や亀岡に残る「大山咋神」信仰の拡大、また日吉など滋賀に伝わる越前「白山信仰」に伺えます。以上、出雲から亀岡(当時、桑田)、大和~山代、 一方では、越前から淡海~山代 その様な人々の流れで山代が形成され、のちに山背、都として山城、京都となっていきます。
 

4517-002.jpg

 
 700年頃の「役小角」と「泰澄」による愛宕開山は、その様な、「大和葛城・鴨氏」と「越前秦氏」の共同事業。その後、平安京遷都直前781年、「慶俊」と「和気清麻呂」は五寺を創建したが、寺としては「月輪寺」、高雄山寺(現在の神護寺)だけが存続し、「白雲寺」は、現在の愛宕神社(奥社祭神 大国主命)になる。「月輪寺」は、「聖観音」「千手観音」「十一面観音」三体の観音菩薩を祀り、観音信仰を一貫。 今は阿弥陀菩薩を本尊とする天台宗寺院です。 山岳修業を基本に、平安時代の「密教」、「浄土信仰」、「白雲寺」から分霊された「将軍地蔵」(イザナミの本地仏)などが習合。
「空海」「空也」、また「法然」「親鸞」、摂関 九条家の祖「九条兼実」たちの信仰、修業、交流の場所となっていきました。飛鳥や平城では、釈迦如来、薬師如来、盧舎那仏を本尊とした寺院が主流ですが、特に山代山岳では早くから、独尊像(菩薩)として観音菩薩が祀られました。 
その理由はなにか? 600年頃の聖徳太子の「法華経」義疏が起源か、700年前後、天智天皇縁の山科音羽川上流の「牛尾山法厳寺」、「泰澄」開山の岩間山「正法寺」、西山では「金蔵寺」、比叡山「延暦寺」にも創建当初の東塔「山王院」に、観音菩薩が祀られた。 愛宕と併せて平安京を四方で囲む。山に関係し水源、水甁を持ち、現世利益をもたらす、優しく親しみやすい・・・その様な理由で観音様が、祀られたに違いないと考えます。
 出雲から伝来した「磐座」山岳信仰、「神々」祖霊信仰は、亀岡の出雲大神宮、愛宕神社から山代の山頂に至り、今日の愛宕山社寺に伝わります。 「月輪寺」は、その歴史大河を生き残こり、観音菩薩と習合しながら現在に至ると考えています。
 

4518-003.jpg

 
 今回、「月輪寺」創建に至る歴史が、京都創成への人々の移動や神仏信仰と重なるため、その関係について重点的に発表いたしました。
同会員ホームページ公開中の、「月輪寺」や参道(登山道)の風景、寺宝仏像群の写真なども、ご紹介いたしております。
ご興味ある方はこちらHP・・・http://nakamuranina.jimdo.com/月輪寺-tsukinowa-temple/
 これから、紅葉シーズンです、ハイキング(軽い登山)を兼ね、是非、樹齢1000年以上のもみじが待つ 「月輪寺」にご参拝下さい。 (文責  中村正司) 
 

 

活動内容
このページの先頭へ戻る

Copyright © MIYAKOGUSA All Rights Reserved.