活動内容

第68回都草美化活動~本法寺~(13.3.10)

  

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★本法寺 仁王門

 

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 ★天気予報通り 雨が降り出しました… 一時中断

 

68回都草美化活動~本法寺~(13.3.10)
 
◆日  時:3月10日(日)午前10時集合
◆場  所:本法寺(京都市上京区小川通寺之内上る本法寺前町)
◆参加人員:31名(女性13名、男性18名)
 
今日は境内の草取り、水路の掃除、鬼子母神堂付近に切り取った竹、樹木を袋に入れられるように小さく切断(なた、のこぎりで)した。途中雨が降ってきましたが、きれいに片付けることができました。45ℓのゴミ袋40袋の処理が出来ました。月曜日に市に取りに来てもらいます。約1時間の作業終了後、本堂に上がりおまいりをし、瀬川観照貫首のお話を伺った。本法寺の経緯は次のとおりです。
1436年:日親上人が東洞院綾小路に創建したのが由来
1439年:日親上人は6代将軍足利義教に諫暁を行い「法華経への信仰がないから世の中が乱れている」と法華経受持を説いた。幕府は日親上人の諫暁を禁止
1440年:日親上人が諫暁書「立正治国論」を著し、幕府により本法寺が焼かれる。日親上人は投獄され焼鍋を頭からかぶせられたり、火あぶりにされたり、鞭打ちなどの拷問を受け改宗を迫られるが屈しなかった。このために「鍋かぶり日親」と称せられるようになる。
1441年:赤松満祐の謀反により足利義教が殺され、日親上人赦免。獄中で知り合った本阿弥清信の絶大な帰依を受け、本法寺を再興、本阿弥家の菩提寺。
1536年:天文法華の乱で堺へ避難。1542年:帰洛を許され一条堀川に再建。
1587年:秀吉の聚楽第造営により現在地に強制移転。本阿弥光悦が移転工事の指揮をする。
1788年:天明の大火により焼失。1797年:再建
お話の後、十庭、巴の庭を見学の後、涅槃会館で長谷川等伯の涅槃図(レプリカ)を拝見し終了した。
その他寺宝は本法寺のパンフレットをご覧下さい。
 
     (記事:美化活動部長 鹿田晴彦)
 
 
 
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     ★鹿田晴彦美化活動部長
  
 
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    ★傘を差しながら
  
 
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 ★短くして袋に詰めます
 
  
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   ★額には汗が…
 
 
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★あれほどあった枯れ葉や枝がすっかりキレイに♪
 
 
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 ★十の庭(つなしの庭と読みます) そのわけが面白い! 
  
 
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  ★「巴の庭」にて 瀬川観照貫首のお話
  
 
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  ★東南隅の石組枯瀧  流れ落ちる水を表現する縦縞紋様の青石
 
 
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★書院縁側  「巴の庭」を前にお話を拝聴いたしました
  
 
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 ★半円を二つ組み合わせた円形石(左上)と切石による十角形の蓮池 で 「日」「蓮」を表現したといわれております
 
 
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 ★本阿弥光悦遺愛の手水鉢
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  ★本堂前 長谷川等伯像
 
 
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(事務局 小松香織)

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