第38回都草歴史探訪会~伏見港の歴史を訪ねて~(12.9.15)
★中書島駅集合
★伏見港をしのぶ宇治川派流
★十石舟
★三栖閘門
★宇治川
★三栖閘門資料館入館前に 説明がありました
★三栖閘門資料館内
★林寛治監事のお話
★角倉了以水利記功碑
★武富幸治会員 ‘角倉了以水利記功碑’について
★大西秀樹会員 ‘寺田屋’について
第38回都草歴史探訪会~伏見港の歴史を訪ねて~(12.9.15)
◆日 時:9月15日(土)午後1時~
◆集合場所:京阪電車 中書島駅北口
◆参加費:300円
◆参加人数:65名
◆コース:中書島(出発)⇒三栖閘門・資料館⇒角倉了以顕彰碑⇒材木小屋跡⇒寺田屋⇒伏見奉行所跡・常盤御
前就捕処⇒御香宮神社(解散)
「伏見港」内陸部にある京都で、違和感のある表現でした。
しかし、豊臣秀吉が宇治川を改修し、大坂への道を造って以来、江戸期には高瀬船の運行に加え大阪との間に三十石舟が淀川を行き来しました。
大正期淀川堤防の改修により、濠川との間に落差が生じ、三栖閘門が設けられ年間2万叟舟が航行していたといわれます。システムはパナマ運河と同じで、区切られた所に船を入れ、水を入れたり抜いたりして、舟を上下させます。
これらの状況を説明されると、京都にも港があったのだ、ということが、実感として納得いたしました(かもめは飛んでこないがツバメが時期によりたくさん飛んでくるそうです。)
角倉了以の顕彰碑のところでは、高瀬川の最終の地の様子が、予想以上に小さくて、大きな碑の銘文がかえってむなしい思いをしたのは私だけでしょうか。
伏見の地は坂本龍馬を忘れる事が出来ません。寺田屋騒動、おりょうさんは本当にあんな遅い時間にお風呂に入っていたの?など疑問はあるも、この地で乱闘があり、九州に旅立った地であることも事実です。
常盤御前就捕処、ビルの隅に建っている石碑、こんなところで・・。絶世の美女の碑は、深い森と清水のほとりが似合うのですが、というのは私の妄想でした。
御香宮神社、何人ものガイドが担当するほど見所が多いところです。割り当て一人3分、話し足りずストレスがたまったことでしょう。しかし、皆さんの伝えたいと言う熱意はひしひしと感じられました。お疲れ様でした。
サプライズの連続と、川辺の静かな散策に、しばし憩いを感じました。
歴訪会始まって以来の参加者に感謝しつつ散会いたしました。
ありがとうございました。
(記事:田村光弘 専務理事)
★額の「御香宮」は黄檗三筆の一人 木庵 の筆になる 半世紀ぶりに見つかり この9月に額束におさまりました
★池田能久会員 常盤御前就捕処にて
★伏見奉行所について 角田進一会員
★お疲れな様子も漂いますが…
★御香宮大手門 安田富枝会員によりますお話を 皆真剣に聴いておられます
★拝殿(府指定文化財) 割拝殿様式
★石田一郎会員 ‘天明義民の顕彰碑’について
★三木(そうぎ)宮司のお話
★桜井博会員 車石について
★御香宮 御香水
(写真協力 林寛治監事・海道ただかず会員)
(事務局 小松香織)