第23回都草歴史探訪会~淀の歴史を巡る~(10.10.24)
第23回都草歴史探訪会~淀の歴史を巡る~(10.10.24)
◆日時:平成22年10月24日(日) 12時30分 曇天
◆集合場所:京阪淀駅
◆参加者:53名
◆案内:南部地区担当
◆コース:京阪淀駅~與杼(よど)神社~淀城跡公園~淀川瀬水車跡~淀小橋跡~唐人雁木跡~妙教寺~京都市伏見水垂収蔵庫~京阪淀駅
菊花賞でにぎわう京阪淀駅に集合、競馬場への人の流れとは逆に與杼神社へ向かう。 與杼神社は延喜式にも見られる古い神社で、桂川右岸から明治期にここ淀城址に移されました。本殿、拝殿はともに重要文化財に指定されていましたが、本殿は昭和50年子供の花火によって 焼失し、昭和55年再建されました。
宮司さんから淀城の歴史についてお話を伺い、淀君が城主となり鶴松を生んだ古淀城は、後ほど訪れる妙教寺の辺りにあったもので、今の城址は伏見城の廃城にともない元和9年(1623)に築かれた新淀城址であると説明を受けました。春日の局ゆかりの稲葉氏が、10代正知から幕末最後の21代正邦まで淀の城主を勤めています。幕末鳥羽伏見の戦いで破れた旧幕府軍は、淀城に籠もろうとして淀藩に拒絶されやむなく大坂へ撤退しています。
今回は普段立ち入れない天守閣跡も見学しました。当初伏見城の天守閣を移す計画で作られた天守台に実際は二条城の天守閣が移され、天守台が大きすぎて四隅に櫓を設けたと伝えられています。復元された穴蔵式天守台の広さに、伏見城の天守閣の威容がしのばれます。淀城の天守閣は宝暦6年(1756)落雷によって焼失しています。
妙教寺ではご住職からさらに委しく戊辰戦争のお話しがあり、慶応4年(1868)1月4日激戦のこの地で東軍の発した砲弾は本堂の壁を破り、柱を貫通し、その跡は当時の砲弾とともに今もそのまま残されていて、140年前の歴史を身近に感じることが出来ました。境内には榎本武揚の筆になる「戊辰の役東軍戦死者の碑」もあります。
最後に桂川を渡り、京都市伏見水垂収蔵庫を訪ねました。ここには京都市内の遺跡から出土した土器や瓦が約2万点収蔵されており、長宗繁一先生の解説で水垂遺跡、長岡京遺跡などの展示物を見学いたしました。
このほか朝鮮通信使の歴史を語る「唐人雁木跡」や「淀川瀬水車跡」、「淀小橋跡」など淀の隠れた歴史に深い興味を抱いた午後のひとときでした。
與杼(よど)神社祭り準備中の三基の神輿
淀城 穴蔵式天主台跡
淀城址での記念写真
妙教寺 東軍砲弾貫通柱
そのときの砲弾
妙教寺 戊辰の役東軍戦死者の碑
水垂収蔵庫 長宗先生
(文と写真:都草副理事長 林 寛治)
(HP運営委員会 吉見誠一郎)