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第109回研究発表会報告、岡田 英三郎 会員、植山 政雄理事(20.9.29)

第109回研究発表会報告、岡田 英三郎 会員、植山 政雄理事(20.9.29)

 

 YouTube 期間限定 10月7日午前10時から10月13日午後5時まで
    メール会員のみ特別公開 
 
◆日 時:令和2年9月29日 午後1時10分~午後4時00分
 
◆場 所:ひとまち交流館 京都 3階
 
◆研究発表:1. 「平安朝烈女伝」 岡田 英三郎 会員
 

      2.「世界遺産シリーズ(2)夢窓疎石の寺々ー時代を超えてー」 植山 政雄理事

◆参加人数:ひとまち 42名
 
 
第1部は、「平安朝烈女伝」 岡田 英三郎 会員です。

 数年前から発表したいと思ってデータ(資料)を集めていました平安時代の女性についての私の思いをお話しさせていただきました。

 平安時代の女性というと、先ず紫式部・清少納言・和泉式部がよく取り上げられますが、今回はあえて除きました。

私の手許には多くの女性に関する資料を収集していましたが、本研究発表会では、
★政治的に影響を与えた人として藤原彰子(+源倫子・紫式部)・藤原淑子・禎子内親王、
★スキャンダラスな人として藤原高子・井上内親王(+酒人内親王・朝原内親王)・藤原璋子、
★ついてない人として当子内親王・藤原祐姫・平徳子の九名について紹介しました。

 今回の発表はある程度平安時代の歴史を知っているという前提のもとでお話ししましたので、分かり難い点が多々あったと思います。

 平安時代も現代と同じように、個々人にとって自分の置かれた状況にいかに対処してゆくかということが大切であるという、結論的なことが十分にお伝えできなかったのではないかと危惧しています。

 レジメには私が参考にした文献を多く載せましたので、お話しした方のどなたかに興味を惹かれましたら、そこからさらに深く探求していただければ幸いです。(会員 岡田 英三郎 )
 
 

 


 
 
第2部は、京のこと語り隊より「世界遺産シリーズ(2)夢窓疎石の寺々ー時代を超えてー」 植山 政雄理事です。

 世界遺産の中で、西芳寺・天龍寺・鹿苑寺・慈照寺という4ケ寺の開山は、共通して夢窓疎石という禅僧である。しかも有数の名庭を持つ寺ばかりである。開山という精神的支柱が同じであるということをキーワードとして、この4ケ寺を理解していきたい。

夢窓疎石
 疎石は、悟りの道を究める修行の道を貫こうとした僧である。その姿に帰依した人々の中には時の権力者もいる。時代を超えて敵同士であるはずの権力者たちが、こぞって夢窓疎石に帰依していくのは、その高い識見と人格のゆえに他ならない。
西芳寺
 他の3ケ寺とこの西芳寺の大きな相違点は、政治の波と無縁であったことだろう。この寺だけは時の権力者が創始した寺ではない。そのため疎石も無用な気苦労もなく、楽しく心の赴くままに庭を造ったのではないだろうか。まさに疎石が理想とした寺であったかもしれない。なお、現在の苔寺となったのは明治中期の頃であったと思われる。

天龍寺

 室町幕府初代将軍足利尊氏が敵方であった後醍醐天皇の菩提を弔うために建てた寺であり、夢窓疎石の尽力も欠かせない。尊氏自身は一般のイメージと違い、後醍醐天皇を敬い畏れていたのではなかっただろうか。
鹿苑寺
 室町幕府第3代将軍足利義満の開基であるが、義満は権謀術数を用いて南北朝を統一し、公武ともに最高権力者にのし上がった。その絶対的存在を具現化したのがいわゆる北山文化である。義満の絶頂期にふさわしく、華やかでエネルギッシュな文化であった。

慈照寺

室町幕府第8代将軍足利義政は。幼い時から将軍職にあったが側近政治の中で政治への関心を失い、専ら文化方面にのめりこんでいく。民衆の苦境からは目を背け、東山殿の完成に情熱を注ぐが、自分の思い通りにいかない現実世界からの逃避が目的だったのかもしれない。(植山 政雄 理事)

                             (広報部 岸本 幸子)

 
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