活動内容

フィールドワーク 幻の府庁疎開計画跡と菊渓川を訪ねて(19.12.18)

フィールドワーク 幻の府庁疎開計画跡と菊渓川を訪ねて

日 時:令和元年12月18日(水)14:00~16:45
コース:智積院~府庁疎開計画跡~(バス)~東山安井~菊渓川付近
参加者:21名

2019年2月のわくわくでの藤川さんの「京都府庁幻の防空壕庁舎」の発表で興味を持ち、地蔵山墓地は私の住まいに近いことから、現地の痕跡を見に行きました。ある程度痕跡が残っているので、是非わくわくで現地調査をということになりましたが、「今は暑いので涼しくなってから…」と言っているうちに、涼しいのを大きく通り越し、風も強く非常に寒い中での現地行きとなってしまいました。

集合場所が智積院だったため、防空壕とは関係ありませんが、智積院の歴史を簡単に説明しました。


関ヶ原の戦いの後、根来寺の塔頭智積院の僧・玄侑(げんゆう)は智積院の復興を家康に願い出ました。家康に味方をしたために秀吉に焼き討ちされたのだから、その借りを返してくれという訳です。その願いは紀州ではなく京都での再興という形で聞き届けられました。さらに大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼすと、家康は秀吉が愛児鶴松の菩提を弔うために建てた祥雲寺を智積院に与えました。これが現在の智積院です。

智積院の説明の後、本番の戦争末期の京都府庁防空壕跡に向かいました。智積院宗務庁の場所には大正15年から昭和55年まで絵画専門学校(後に美大)があり、今でも画材屋さんが残っています。

いよいよ防空壕跡に到着、東側は2ヶ所の入口が比較的はっきりと確認できました。南側の入口は東側と比較するともう一つ決め手がなく、皆が口々に「ここじゃないか」「あそこじゃないか」と自説を述べましたが結論には至りませんでした。西側は開発され、お坊さんの宿舎が建てられいて痕跡は残っておらず、北側は防空壕トンネルを掘った時に出た土砂捨場でしたが、今は墓地となっていて痕跡は認められませんでした。




地蔵山の周囲をぐるっと一回りして智積院に戻り、バスで東山安井を経て次の探訪先の菊渓川に向かいました。

(報告:武富幸治会員)


菊渓川の案内は、以下のPDFをご覧下さい

(報告:野津 隆部長)

菊渓川を求めて

 

(写真:熊谷喜輝)
(広報部:熊谷喜輝)

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