活動内容

第90回 歴史探訪会 伏見深草部会「明治天皇陵と伏見城の足跡をめぐる」(19.6.20)

第90回 歴史探訪会 伏見深草部会「明治天皇陵と伏見城の足跡をめぐる」

◆日  時:令和元年6月20日(木) 13:00~ 晴れ
◆集合場所:御香宮神社南門
◆参 加 費:会員500円(非会員1000円)
◆参加人数:60名(うち非会員3名・スタッフ10名)
◆コ ー ス:御香宮神社→御陵参拝道→明治天皇陵→昭憲皇太后(明治天皇皇后)陵
                →京都橘中学校・高等学校資料室(入室見学)→乃木神社         

 当部会主催の探訪会では、珍しく久々の好天に恵まれ、梅雨前の時期にも拘らず60名のご参加を頂きました。
 伏見深草のメインスポットの一つである明治天皇陵は、1週間前に上皇様ご夫妻も参拝のため訪問されたばかりで、ちょうど良いタイミングでありました。
 御陵参拝道から桃山御陵周辺の長い坂道でしたが、コースの途中で『ちょっと寄り道』と称して「苔清水(こけしみず)」をはじめ、「三夜荘」「伏見山荘」「金城閣」など、一般にはあまり知られていない話を聞かれて伏見の奥深さを感じられたと思います。
 また、橘中学校・高等学校では資料室の見学前に会議室において清涼感を味わいながら三輪校長先生からご挨拶と同校の沿革等をお話いただきました。
 スタッフの説明は各人の深い研究に加え、地元の者しか解説できない当部会の特徴もあり、暑い中、最後まで熱心にお聴きいただいた参加者の皆様には感謝いたします。

伏見深草部会  部長 森 幸弘

森幸弘部長 ※挨拶の後、伏見と徳川家との関わり等について説明
明治天皇崩御後の御陵所(字堀内小字古城山)の決定や埋葬に至る経過についての説明がありました。また、伏見と徳川家との関わりについては、家康にはじまり秀忠、家光も征夷大将軍の宣下を江戸ではなく伏見城で受けたこと、更に日本初の銀座が伏見に設けられたことなどを考えると江戸時代初期は「伏見幕府」と呼ぶのがふさわしいと思います。


安田富枝会員 ※御香宮神社にて表門・拝殿・本殿・庭園について説明
水戸藩祖である頼房(水戸黄門の父)が伏見城大手門を寄進した「表門」をはじめ、紀州藩祖である頼宣の寄進で鯉の滝登りの彫刻が施されている「拝殿」や家康の建立で葵の御門が施されている「本殿」、そして、小堀遠州が伏見奉行の時に奉行所内に作った「庭園」が中根金作によって再現されていると説明がありました。


林寛治相談役 ※桃山筑前台町の地蔵尊にて「苔清水」の説明
桃山筑前台町は加賀百万石の太守前田(松平)筑前守利常に由来し、ここの地蔵尊の傍らに伏見七ツ井の一つ「苔清水(こけしみず)」があったが現在は埋められており、やがては忘れ去られるであろうと残念なお話がありました。 


久世幸男会員 ※桃山筑前台町の地蔵尊にて「三夜荘」「桃山駅」の説明
「三夜荘」は、伏見桃山の丘陵の南西に位置し、宇治川に架かる観月橋を眼下に望む景勝地にあり、江戸初期には本多三彌正重(通称・三弥)邸があり、秀吉の観月台があったともいわれている。
明治初年に伏見の門徒によって寄進され、西本願寺が別荘として造営し、本多三彌の名に因んで「三夜荘」と名付けられた。当初は、大谷光尊の私的なサロンであり療養所でもあった。ここには英照皇太后、昭憲皇太后、伊藤博文、三条実美、西園寺公望のほか徳川慶喜も訪れていたとのことです。
「桃山駅」は、堀内村、伏見町、大谷光尊が各自500円を寄付し1500円の費用で設置された。
その駅名は光尊の強い要望により「桃山」となったが、当時の住民はその名称には馴染めなかったようである。


林寛治相談役 ※伏見桃山陵参道にて「伏見山荘」「金城閣」の説明
藤原頼通の子・橘俊綱が桃山丘陵の南端に建てた伏見山荘の中に伏見寺(後の即成就院)を建立した。この地にあった俊綱の巨大な石塔が那須与一の墓となり、その後、伏見城築城によって大亀谷へ移り、転々とした与一の墓は、現在、泉涌寺に再興された即成院に伝えられている。
明治25年に旧伏見城二の丸付近に金閣のような3階建の「金城閣」が建てられるなど、本丸跡に御陵ができるまでは自由に立ち入ることができたようである。なお、その建物の詳細は分からない。

武富幸治会員 ※明治天皇伏見桃山陵にて「明治天皇百年式年祭」「天皇の葬儀」の説明
明治天皇が崩御されて100年の命日にあたる平成24年7月30日、皇居の皇霊殿とともに明治天皇陵でも勅使が派遣されて「明治天皇百年式年祭の儀」が行われた。天皇陵での祭祀の内容はよく知られていなかったが、この時に儀式の詳細が明らかになったようである。


岡本学会員 ※昭憲皇太后伏見桃山東陵にて「昭憲皇太后基金」「追号」等の説明
国際赤十字のなかの「昭憲皇太后基金」について、今も原資を保ち現在も存続している。昭憲皇太后は追号が「皇后」になるはずが「皇太后」となっているのは、英照皇太后の追号の誤りをそのまま倣って命名された結果、その誤った追号が現在に至っている。

奥本徹夫会員 ※京都橘中学校・高等学校にて資料室の見学にあたっての留意事項の説明
 見学の前に会議室において、三輪校長先生からご挨拶をいただいた後、資料室において学校の貴重な写真や学籍簿のほか制服の変遷がわかるように制服を着た人形が展示され、また、歴史的資料としては、桃山時代の伏見城跡の鬼瓦、金箔軒丸瓦、天目茶碗などの破片の遺物のほか当時の伏見城下の地図等の貴重な資料を見学させていただきました。




森幸弘部長 ※乃木神社にて創建、由縁、本殿等の建物の説明
明治天皇の崩御の際に殉死した乃木希典と妻・静子が祀られている。
大葬の夜、自宅で乃木は自決し夫人も続いた。この「殉死」により、世論が高まり神社設立へと展開していった。そして、大正5年9月13日、薩摩藩出身の実業家であった村野山人が全財産を投じて同社を創建した。

神山会員 ※乃木神社にて神門の説明
台湾総督であった乃木希典を記念して台湾の阿里山の桧材で作られたもので、台湾桧は耐朽性に大変優れているため当時は日本の神社仏閣建築や造船等に多く使用された。
日本の林学者、琴山河合博士(本名・河合鈰太郎)は、日本統治時代に台湾阿里山森林資源開発とその手段としての森林登山鉄路の建設を提唱した。
「法正林」とは、毎年の成長量に見合う分の立木を伐採・植林して永続的な森林経営が実現させる森林のことで、当時の森林開発も伐採と植林を同時に進めた森林資源の保全を図った開発であり、その実績は現在も高い評価を受けている。


(写真:奥本徹夫会員・熊谷喜輝)
(広報部:熊谷喜輝)

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