活動内容

わくわく倶楽部(フィールドワーク)松原通を歩く(其の4)(18.3.18)

わくわく倶楽部(フィールドワーク)京都ミステリーロード 松原通を歩く(其の4)

日   時 : 2018年3月18日(日) 13時30分~15時30分
参 加 者 : 18名
出   発 : 五條天神社より
到   着 : 京都産業大学付属中学・高等学校まで

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松原通を歩く4回目は、五條天神社より出発。
東中筋通(別称・天使突抜通)を越え、三善清行邸跡へ向かいました。 

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◇三善清行邸は、現在、醒ヶ井通松原下ル下京雅小学校(元・醒泉小学校)になっています。
三善清行は、平安中期の公卿。漢学者。菅原道真と対立していた人物としても有名ですが、浄蔵貴所の父で、一条戻橋で一時蘇生した人です。
『今昔物語集』巻第27の31「三善清行宰相、家渡語」によると誰も住まない縁起が悪いといわれる荒れ果てた家を買い、住んでみると、やはり夜になると、たくさんのバケモノが出てくる。そのバケモノにも動じず、諭し、大学寮の南門の東の脇にある空き地にバケモノを移住させて、新しい家を建て住んだ。それがこの地です。
バケモノが移住した大学寮の南門の東の脇にある空き地とは、神泉苑のようです。
この話は、「心賢く、知恵を持つ者には、鬼といえども悪事を働く事は出来ない。分別なく愚かな者が鬼によって害を被るものだ。」という語り伝えです。

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 ◇まるき製パン所
 松原通堀川西入ル京極商店街にある昭和22年創業のパン屋さん。残念ながら、日曜祝日の営業は14時迄でした。平日は20時まで開いています。販売されるパンの種類は60種もあるようです。

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 ◇立派な貝塚伊吹

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◇中堂寺西寺町には、11のお寺があります。
 東の寺町に対して西の寺町と名付けられたようですが、この町にお寺が集まったのは、天正の地割の時ではなく、江戸時代に入ってからのことで、六条三筋町が島原西新屋敷に移った時にこの周辺が同時に開発されています。おそらくその頃、1640年~1680年頃ではないかと思われます。

スクリーンショット (65)-2b◇中堂寺
 中堂寺の地名はこのお寺に由来しているのでしょうか?
『山城名勝誌』第4巻「中堂寺」(1705年)の項には、六条の北、大宮の西に中堂寺村にあり。この寺中頃高辻の南、堀川の東に遷り、近年また中堂寺村に遷ると記されています。現在その場所(藪之内町)には、慈雲寺が建っています。
中堂寺(1464年)→吉祥寺→慈雲寺と日蓮宗に改宗され寺名も変わっているようです?
一方、中堂寺西寺町にある中堂寺は、江戸時代初期の『洛中絵図』にも、貞享3年(1686年)の『京大絵図』にもこの場所に記載されていません。1693年頃とされる洛中絵図には現在の場所に中堂寺が存在し、『拾遺都名所図会』第1巻(1787年)にも松原通大宮の西にあり。と記されています。しかし、翌年の天明の大火で、この辺りのお寺はすべて焼失しています…。

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◇西照寺
 狩りに来た豊臣秀吉を雑炊でもてなしたことから「雑炊寺」とよばれ、その時のお礼として、襖に五七の桐を使うことを許されたそうです。創建は慶長5年(1600年)ということです。

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◇善徳寺
 きれいな紅色の壁のお寺。「赤寺」とよばれているそうです。
 江戸時代“小町紅”という最高級の京紅を商い、財を成した檀家の木村平兵衛が山門を寄進し、土塀を京紅で赤く塗られたそうです。現在は赤い塗料を使い塗装されていますが、戦争中もずっと赤い壁で徹されたそうです。美人祈願のお寺として知られています。
 創建は、400年程前だそうです。

7図1

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◇末慶寺
 明治24年5月11日に起きた大津事件後の5月20日に「露国御官吏様」「日本政府様」「政府御中様」宛の嘆願書を京都府に投じ京都府庁前で自刃した畠山勇子の墓と遺品がこのお寺にあります。
 墓石は南向きに建ち、正面に「烈女 畠山勇子の墓」・裏面には「有憂国事来訴京都府庁自断喉死二十七」と刻まれています。出身地である鴨川市横渚の観音寺にも分骨され、顕彰碑が建てられています。

8末慶寺

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◇長円寺
 江戸時代初期の『洛中絵図・中井家絵図』書類74(京大貴重資料デジタルアーカイブ)を見ると中堂寺西寺町には、長円寺のみが存在し、周辺は、野畠になっています。
 中堂寺西寺町に最初に建てられたお寺ではないかと考えられますが、昭和6年の火災で本尊・観音堂・山門を残し、すべてを焼失。以前のことはわからないそうです。

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 ◇壬生川通周辺は染屋さんが多い!

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◇京都産業大学付属中学校・高等学校
 2012年に相国寺北門前町より中堂寺命婦町に移転。
 壬生花ホテルと日本たばこ産業社宅跡地です。

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(報告:藤川由美子会員)

【寄り道(日写前付近)】 (熊谷喜輝)
◎何故阪急西院駅は地下なのか?
 この後壬生寺に行きましたので、日写前まで寄り道しました。以前から阪急「さんいん」と嵐電「さい」は不思議に思っていましたが、歴探西部の散策で解決しました。でも、阪急西院駅は何故地下なのでしょう。調べてみると、路面で行くとJR山陰線と交差することが判りました。当時の国鉄は蒸気機関車で、電車との平面交差を嫌がったそうです。高架にしようと思いましたが、京都市も四条通に市電の計画がありました。地下に潜るしかなかったのです。一方、四条通りの少し南に並行して走る嵐電はというと、これは山陰線を跨いでいるんです。蒸気機関車の上を嵐電が走っていたんです。その名残がこの日写前で見られます。今は逆に嵐電の上をJRが走っていますが。
市電も挫折し、四条大宮~松尾橋間はトロリーバスが走ることになりました。

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嵐電下の旧国鉄の線路跡の高さが低いようですが、当時は下の写真の様でした。

HPより、上の高架が嵐電
HPより、上の高架が嵐電

(写真:熊谷喜輝)
(広報部:熊谷喜輝)

 

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