活動内容

第85回研究発表会報告、亀田 正昭会員・住 邦夫会員(16.12.26)

第85回研究発表会報告、亀田 正昭会員・住 邦夫会員(16.12.26)

◆日 時:平成28年12月26日午後1時10分~午後4時00分
◆場 所:ひとまち交流館 京都 2階
◆研究発表:1. 「琵琶湖疏水! 再発見」 亀田 正昭会員
      2.「庚申信仰とお猿さん」住 邦夫会員
◆参加人数:50名

第1部は亀田 正昭会員より「琵琶湖疏水! 再発見」です。
9年前から琵琶湖疏水周辺の案内を多くの方々にしてきましたが、殆どは5分~10分位の短い説明です。
今回琵琶湖疏水に関して長時間お話しする事は、初めての事で不慣れの為、お聞き苦しい処があったかと
終了後反省致しております。では以下に、当日の講演内容を要約致します。                     
現在では考えにくいでしょうが、京都市は市営電気事業として明治24年から昭和17年まで50数年間にわたり、
水力発電による電気(電力)を大きく販売、のちには火力発電所も建設して京都市内中心に供給していました。
多くの方々はこの史実をご存じないかもしれません。私も知っていたと言えません。
というのは数年前に関西電力の株主総会に門川市長、当時の大阪橋本市長などが出席云々という新聞記事に遭遇。
なぜ、どうして?から関係書籍などを渉猟。そして今回その一端を発表させて頂く事に繋がりました。

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明治24年蹴上発電所から日本で初めての送電を開始。しかし当初の2,3年は思うように需要がなく苦戦しました。
やがて当初の直流発電から交流発電が中心になるに従って爆発的な需要を呼びます。早くも供給不足になりがち
となり、第2疏水の起工へと繋がっていきます。
明治45年竣工の第2期蹴上発電所は4800Kw、続いて現墨染発電所、夷川発電所と矢継ぎ早に竣工、3つの発電
電力の合計は6700Kwと第1期(約1500 Kw)の4倍以上に大きくアップ! ここに新たな問題がクローズアッ
プします。創業当初から「京都電灯(株)」という地元の配電会社と協調とゆるい競合関係の下共に事業の発展を
図ってきましたが、ここに来て激烈な競合関係になだれ込んでいきます。
同じ道路の北側には市営電気事業の電柱が建ち送電線が走る、南側には京都電灯(株)の電柱と送電線が・・とい
う非合理的な競合が続きました。
大正3年10月、漸く両者の供給地域協定が締結され翌5年1日付で実施されました。
凡そ市内の三条通りの北側は市営電気事業から、南側は京都電燈(株)とする。従来の動力電力は京都市、電灯電
力は京都電灯(株)という分担分けを<地域割り>にするという協定内容でした。
しかし協定内容の一部を巡って後々問題(市外の取扱い)が尾を引きました。その後も工業用電力、電灯用電力
共に旺盛な需要は伸び続け、京都市は大正14年伏見に火力発電所(5000Kw)までも建設します。

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京都電灯(株)も負けじと供給力アップに力を注ぎます。更に両社とも距離的に近い「宇治川電気」と大量供給契約
を結び更なる新規需要を獲得、事業発展を目指します。日進月歩の電気技術の発展に昭和11年には第3期蹴上発電
所(初の国産の日立発電機導入)の更新をはかります。一方この頃戦争の足音が高まりつつあり昭和13年には国家
総動員法からくる電力国家管理関連4法が可決され戦時色が一層強まります。
財界や各種経済団体の反対、京都はじめ大阪など自治体が運営する電気事業も議会中心に反対運動を展開するもか
なわず。配電統制令の施行と共に京都市営電気事業も関西配電(株)という国策会社に統合され、昭和17年3月31日
付をもって輝かしい50数年の歴史を築いてきた電気事業も終焉を迎えました。

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 敗戦後の翌年から蹴上発電所など市営電気事業の諸施設の返還を求める請願を可決。東京他の自治体も復元運動
に足並みを揃えます。一方政府は戦後の電力不足と産業復興最優先の課題解決にGHQの意向の中各種審議会がも
たれ、戦前の9つの配電会社を「発電送電 + 配電事業」を統合した9つの新しい電力会社に移行するとし、現在
の「関西電力(株)」が誕生。関西配電(株)の資産を移行、京都市の持つ株式が残されました。昭和26年3月当時の
高山市長と市議会議長揃って返還要求をもって関電に乗り込んだが・・・・時すでに遅し?その後ある種のバータ
ー取引により、ついに昭和38年公営電気業の復元運動は終結します。
最後に第3章①田辺朔郎博士のその後・・・②南禅寺界隈別荘庭園群について若干ふれて終了致しました。

事業別収入額グラフ(明治24~44年)
事業別収入額グラフ(明治24~44年)

エピローグとして、琵琶湖疏水事業は成功或いは失敗?京都人は誰も成功を疑いません・・・が、大前提である
大工業都市にするため当初7つの開発計画を立案。その趣旨から見ると失敗だった!という識者も一人だけでは
ありません。ただ当初考慮されていないが、工事途中の先見性ある変更による水力発電所の建設と電力事業運営
による大きな貢献(市税の15~16%にもあたる財政貢献)やその後の上水道原水の利用を鑑みると北垣国道知事、
田辺朔郎博士の想定外な事業により、大成功!!
琵琶湖疏水のお蔭で何不自由なく美味しい水道水を147万市民と5000万人を超える観光客もその恩恵を、
今もこれからも受けていくでしょう。(会員 亀田 正昭)


 

第2部は住 邦夫会員から「庚申信仰とお猿さん」です。
 今回は「庚申信仰とお猿さん」という表題で発表いたしました。
庚申信仰のルーツは中国の道教にあり、庚申(かのえさる)の日に行なわれる少し不思議な行事です。
この日の夜は大人も子供も一緒に集まり、庚申尊をおがみ、夜明けまで一睡もしないで物語、雑談、飲食、
双六などをして過ごしました。大人も子供もこの日を楽しみにしていたのですね。

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この信仰は平安時代に日本に伝わり、江戸時代には爆発的に盛んになりました。
日本に伝わった庚申信仰は、ずいぶん日本的な内容に変化したものになりました。
すなわち庚申(かのえさる)の日の「さる」との関連で、「見ざる、言わざる、聞かざるの三猿」や
「くくり猿」、「猿田彦」などとも結びつき、まるでお猿さんの信仰かと思えるくらいに変わりました。

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なぜこんな風に変化したかも、長いことわからなかったですね。
京都のお猿さん信仰は、庚申信仰以外にも鬼門守護の信仰、道祖神の信仰、地主神の信仰などがあり、
お猿さんの種類もそれぞれ異なります。

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これらを一応分類整理して研究発表できたことは、私自身の為にもなりました。
NPO法人「都草」は、このような研究発表の場を会員に提供しており、自分を研く場として有り難い
制度だと思っております。(会員 住 邦夫)

                               (広報部 岸本 幸子)
     

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