活動内容

第69回都草・歴史探訪会西部「都のやすらいと船岡山の気を探る」(16.6.9)

第69回都草・歴史探訪会西部会 新しい発見を求めて
「都のやすらいと船岡山の気を探る」

日  時:平成28年6月9日(木)13時出発
集合場所:今宮神社 楼門
参加人員:39名(内 非会員3名) 
会  費:700円 一般900円
ル ー  ト:今宮神社―船岡山(あずまや-応仁・永正戦跡碑-ラジオ体操-頂上-
               建勲神社-稲荷社-大鳥居) 解散

梅雨入りで天気を気にしながらの探訪でしたが、雨と縁の深いと言われる俊藤部長も一安心でのスタートでした。
今宮神社では大森禰宜からの説明がありましたが、曰く、皆さんの資料を見せてもらったらお話することが無いので、以外な事でと。この神社は紫野社から名前が変わってきている。また、織田稲荷があるのは阿弥陀寺からの移設であり、拝殿の天井にある三十六歌仙の絵は、この地が西陣にあるので他と違って西陣織りで作られている等の紹介がありました。

今宮神社境内にて大森禰宜より案内
今宮神社境内にて大森禰宜より案内
大森禰宜
大森禰宜
織田稲荷神社
織田稲荷神社

古事記でおなじみの堂園副部長より、日本の国造り神話に出てくる神々の紹介や、今宮神社の祭神の一人である奇稲姫命と疫神のスサノオノミコトについての説明があった。スサノオノミコトはヤマタノオロチに食べられる運命にあった娘を助けて妻にした事や、その子、大国主命が日本の国造りを完成させた事等を、面白おかしく話をされました。

絵馬堂にて堂園会員より得意の古事記の解説
絵馬堂にて堂園会員より得意の古事記の解説
堂園会員
堂園会員

西田副部長より“玉の輿”で有名なお玉さんの話を、例の通り本人により上手に描かれた38歳頃の美人画を見せながら話をされた。何時の世も男はどうして美人に弱いのだろう、家光までが? 平清盛も。
小さい時、亮賢(大和長谷寺の僧)から“この子の顔を見るに天下を統べる高貴の相が現れている“と言われた事を覚えていて、僧に報いると共に京都の多くの神社仏閣に、現在のお金で1700億円程の寄進をして復興させている。また、75歳で女性最高位の従一位を受ける勅使の接待問題が、奇しくも江戸城松の廊下での刃傷事件に繋がっている。

西田会員は自筆の絵画でお玉さんを解説
西田会員は自筆の絵画でお玉さんを解説
西田会員
西田会員

高橋副理事長からは、古くから桜の花の咲く頃に発生した疫病除けの神として、紫野の疫社の説明があった。その時に風流の装いで参拝して沈静を祈願する慣わしがあり、これを「やすらい祭」と呼んだ。民族無形文化財としては「やすらい花」で指定されて居り、今宮神社の物が有名だが、上賀茂を始め4地域で伝承されている。
また、神社なのに「四面石仏」がある事や、水の神を祀るナマズの台石も紹介された。

絵馬堂にてやすらい祭の案内
絵馬堂にてやすらい祭の案内
高橋明俊会員
高橋明俊会員
宗像社のナマズの台石
宗像社のナマズの台石

ここで今宮神社はお別れ、船岡山公園に入って、歴史探訪でも始めての経験と思いますが、昭和10年に作られたラジオ塔の前でNHK第一体操を実施した。久しぶりでも体が覚えていて皆は上手にやられたが、終わった後ボランテイアの人が船岡山の歴史について色々話し始められたので、我々が発表する事が無くなってしまうと言って笑いを誘った。

ラジオ塔前にて切島会員より案内
ラジオ塔前にて切島会員より案内
久しぶりのラジオ体操です
久しぶりのラジオ体操です

細川家の系図に詳しい熊谷副理事長からは、船岡山で二つの大きな戦い(応仁・文明の乱と永正の戦)の話があったが、この山は守りに弱く二度とも山に陣取った方が負けている。細川政元に子が無く、もらった三人の養子達の権力抗争から発生した永正の戦いで細川澄元が敗れ、細川家の直系が表舞台から姿を消す原因となったとの説明があった。

あずまやにて、何時もの図表を使っての 応仁・文明、永正の戦いと細川本家凋落の解説
あずまやにて、何時もの図表を使っての
応仁・文明、永正の戦いと細川本家凋落の解説
熊谷会員
熊谷会員

吉村会員からは、船岡山での大きな戦いである応仁・文明の乱は、その後の日本に何をもたらしたかの観点からの話があった。結果的に自己防衛のため民衆に自立心を起こさせ、町衆が自治制度を作り、豪商も生まれ祇園祭も生まれた。焼けずに残った大報恩寺は民衆の集会所的場所であり、流石の武士も火をかけられなかったからと考えられる。
また、都を逃れた公家や武士たちが地方に行って小京都を造ったものが、土佐・中村の一条家や山口の大内氏の名で今に残る。

あずまやにて、吉村会員より応仁の乱の及ぼした影響を解説
あずまやにて、吉村会員より応仁の乱の及ぼした影響を解説
吉村会員
吉村会員

船岡山頂上では久世副部長から、愛宕山の方から続いているチャート(堆積岩)が全山の岩山として現れ、頂上に磐座として見られるが、建勲神社の大鳥居辺りから地下に入り東に真直ぐ伸びて烏丸中学の校庭で岩盤の露頭が現れ、その先で再び急角度で地中に没している。此の事が地下鉄工事で判明したことから、古来、加茂川の付け替え説もあったが、自然の原理から否定される案が強くなった。また、桓武天皇も眺めたであろう山頂に立って、京都盆地の流暢な説明に皆が感心した。

平安京玄武にあたる頂上にて船岡山の成立ち等を解説
平安京玄武にあたる頂上にて船岡山の成立ち等を解説
久世会員
久世会員

建勲神社での松原宮司の話によると、京都の盆地に3つの丘があるが、丘と言うと古来より清少納言の徒然草にもある様に、この船岡山が有名だった。その他、信長が祀られるまでの経緯の説明や、森については応仁・文明の乱で丸焼けになった山に生えてきた色々の種類の木が混じった自然林が特色の場所である。
山は半分が建勲神社と、半分は大徳寺から賃貸を受けた京都市の公園になっている。

建勲神社境内にて
建勲神社境内にて
松原宮司
松原宮司

俊藤部長からは名刀「宗三左文字」について、現在まで伝わってきた経緯(三好-武田-今川-織田-秀吉-家康)の説明があり、最近人気のオンラインゲ-ム「刀剣乱舞」で若い人達への刀剣ブ-ムが起きている事が紹介された。

刀剣ブームの実情について
刀剣ブームの実情について
俊藤部長
俊藤部長

また、船岡山と伏見稲荷山は古くから霊山の交渉が多かった様で、稲荷命婦本宮は伏見稲荷の命婦社(白狐社)の親神であるとされ、元宮であるともいわれる。義照稲荷神社は、秦氏の守護神として西陣織りの租神をなしている。

義照稲荷神社前にて 伏見稲荷大社との不思議な関係を解説
義照稲荷神社前にて
伏見稲荷大社との不思議な関係を解説

天気も最後まで何とか持って、参加者の皆様にはテーマである船岡山の”良い気”を持ち帰られた事と思います。

   (西部会 福岡 亮)

写真撮影:小松香織会員・熊谷喜輝
広報部:熊谷喜輝            

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