活動内容

第72回研究発表会報告、櫻井 英成 会員・三好 英樹 様(15.06.25)

第72回研究発表会報告、櫻井 英成 会員・三好 英樹 様(15.06.25)

◆日 時:平成27年6月25日午後1時10分~午後4時00分
◆場 所:ひとまち交流館 京都 3階
◆研究発表:1. 「日本料理の歴史 ―京料理とおばんざい―」 櫻井 英成会員
      2.「洛東智積院成立史 ―紀伊国根来寺智積院から京都東山豊国智積院へ―」 三好 英樹 様
◆参加人数:41名
◆参加費 :500円 一般参加費 :700円

第1部は 櫻井 英成会員より「京料理」とおばんざいです。「和食・日本人の伝統的な食文化」が、2013年ユネスコの世界無形文化遺産に登録されました。ところが、今「和食とは?」といわれても明確に回答できる人は少ないので皆さんと勉強していきたいと思います。
日本料理は京都という歴史・風土の中で発達したもで京料理の歴史と云っても過言ではありません。
日本料理という言葉は明治以降に生まれたもので明治17年に刊行された『日本・西洋料理指南』(石井郁二著)で西洋料理との対比上「日本料理」という言葉が用いられたのが始めです。

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京料理の特徴は旬の野菜を用いて季節感を出し持ち味を損なわないように薄味とし、彩よく盛り付けます。蛋白源は豆腐や湯葉、また家で鶏を飼い、卵を食べ鶏肉はすき焼きにしました。
魚貝類は若狭からのひと塩ものの鯖や浜塩の甘鯛、笹鰈など。瀬戸内海から運ばれてくる鱧、琵琶湖で採れる鮎、もろこ、貝はシジミがよく使われました。
出し汁は昆布、鰹節、ダシジャコ等。これは総合調味料「味の素」に結びつきます。
「おばんざい」は京都の食材を使い、有職料理や精進料理、懐石料理の流れを汲んで京都で発達した家庭料理です。「おばんざい」と云う言葉は昭和39年1月4日から朝日新聞京都支局が京都の家庭料理を紹介するコラムのタイトルで使われ一挙に全国ネットで使われるようになりました。

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旬の野菜は「出会いもん(味の取り合わせがよいもの」が決まっています。壬生菜と鯨のころ、茄子と身欠きにしん、里芋と棒鱈など。
行事・祭事食をハレの日の食事と云い、ぼたもち、ばら寿司、鱧料理などをいただき、また日常食をケの日の食事と云い、畑菜と厚揚げの炊いたんなどを食べます。
京都では月の内、何日には何を食べるという「おきまり料理」が定着していました。1日・15日には小豆ご飯、月末にはおから(お金の出入りが多いことからおからを炒る=入る、にちなんで)。
寺社が多いことから精進料理や懐石料理が栄え、おいしい野菜が一年中求められた。京野菜にはせり・ねぎ・すぐき・聖護院かぶら・鹿ヶ谷かぼちゃ・京菜・壬生菜・堀川ごぼう等があります。

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料理屋が最初に出現したのは1403年、東寺の南大門近辺に登場した「一服一銭」がある。これが門前茶屋へと発展し、料理屋の原型となったと考えられます。
京の食文化のまとめとして、ハレの日の会席料理とケの日のおばんざいを総称して、京料理と云うことができるのではないでしょうか。
見た目の美しさ、四季折々の新鮮な食材と持ち味の尊重、優れた栄養のバランス、年中行事と密接な関わりが和食の特徴です。
生活スタイルが変わる中で和食の文化を守るのは大変だが、次世代へ伝統の食文化を大切にする気持ちを伝えることが国民としての義務であります。

 (記事 岸本 幸子)



 
第2部は総本山智積院学芸員 三好 英樹先生より 洛東智積院成立史 ~紀伊国根来寺智積院から京都東山豊国智積院へ~
 東山七条に建つ真言宗智山派の総本山智積院。
国宝「楓図」「桜図」を始めとする長谷川等伯一門による金碧障壁画と、書院からの眺めが美しい名勝庭園で知られています。

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現在の金堂は昭和50年、講堂にあたっては平成7年に再建された新しいお堂ですが、境内の北部には江戸時代初めの創建当初の姿が色濃く残っています。
その創建までの複雑な智積院の歴史を詳しい資料に基づいてお話下さるとともに、中世史の研究者であるお立場から、宗教史の研究が中世史研究にはいかに大切であるかについても、最初にご説明下さいました。
智積院は和歌山県にある根来寺の中世以来の法灯を受け継いでいますが、この根来寺は、平安時代後期、高野山に創建された大伝法院に起源をもっています。

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16世紀の根来寺は、ルイス・フロイス『日本史』に「大いなる共和国的存在」と記され、またヨーロッパで発行された「メルカトル世界図」には「みやこ(Miaco)」とともに「ねごろ(Negra)」という表記が見られます。そして『耶蘇会士日本通信』では、日本を代表する「大学」であるとも記されています。
洛東の智積院は、天正13年(1585)、羽柴秀吉による紀伊国根来寺の焼き討ちによって根来寺を離れた、根来寺の能化であった智積院玄宥により、慶長6年(1601)頃に、京都にある豊国寺(豊国社)の一角に再興されます。

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その後、大阪冬の陣・夏の陣を経て豊国社が破却されるに際して、秀吉の子・鶴松の菩提寺である祥雲禅寺を元和元年(1615)に徳川家康から得るなどして、順次伽藍を形成していきます。
境内の釣鐘はこのときの豊国社ゆかりのもので、根来寺別院として智積院の再興がかなったことが刻まれています。
その後智積院は、中世根来寺以来の学問寺として発展し、多いときには学寮が70以上あったともいわれ、その痕跡は現在でも境内のなかに残されています。
智積院に伝わる3万点にも及ぶ文書・記録・聖教・典籍などの資料群が、まさにそのことを物語っているのです。

                                       (記事 松枝 しげ美)

                                       (広報部 岸本 幸子)
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