活動内容

第58回研究発表会(14.2.13)

 58回研究発表会(14.2.13)

◆日 時:平成26213日午後110分~午後400

場 所:ひとまち交流館 京都 3

研究発表:1. 「モノづくり的観点による敷瓦考察」二村盛寧(ふたむら もりやす)氏
        京都産業大学日本文化研究所上席客員研究員

        2.「京に残る町名看板と道路標示」岡田英三郎会員

参加人数:31

参加費 :500   一般参加費 :700

 

1部は二村盛寧氏より「モノづくり的観点による敷瓦考察」です。今回は、外部講師として、京都産業大学日本文化研究所 上席特別客員研究員の二村氏に、「塼(せん)」のひとつである「敷瓦」についてお話をして頂きました。 

瓦はおもに屋根瓦と敷瓦に分けられますが、屋根瓦と比較すると、敷瓦は床に敷く性質上、より厳しい、品質的によりレベルの高いものを求められます。床や建物を支える基壇の下に敷いて使用する敷瓦の生産は、日本人が最初に挑まなければならなかった大量生産を前提とした技術だったと考えられます。

4913-DSC04030.jpg 

 

 長年製造業に関わってこられた経験を生かして、平安時代初期の瓦工場だと考えられている西賀茂瓦窯から出土した塼を実際に再現焼成し、当時どのように、精度の高い敷瓦の大量生産が出来たのかを解明することを目指しました。

 さらには、京都産業大学益川塾塾生として研究を続け、平安宮大極殿などの瓦を供給したと思われる、京都市の角社西窯跡から出土した瓦遺物の粘土の成分を測定し、成型方法も考慮しながら、京瓦を焼くことの出来る唯一の職人である浅田製瓦工場の浅田様のご協力を得て、当時の瓦生産を再現してみました。

 

4914-DSC04035.jpg

  

 試作では、型や布に工夫を凝らし、延喜式の木工寮作瓦の記載に基づいて砂の量に変化をもたせ、より効率的に高品質の瓦が生産出来る方法の一つを再現することができました。

さらに出土瓦により近い状態に仕上がるには、「型を使って成型する」、「型に粘土を入れる際に布を使用する」、「粘土にある程度の砂を混ぜる」の3点が必要であることが分かりました。 

  

4915-DSC04039.jpg

  

 現在の建物に残された塼は、幾度となく敷き替えられているために当時の姿を知ることは大変難しいですが、実際に製作し、発掘などで出土した当時の塼と比較することによって、当時どのように塼が生産されていたのかという謎を突き止めることが出来たと思います。
(記事 松枝しげ美)


2部は4回目の登場になる岡田英三郎会員です。毎回全くちがうテーマーでお話をしていただいております。私が思いますのに岡田さんは感じた事を手際よくまとめる達人でして、以前にも本をいただきましたが、またまたですね、今年1月にも文集『古代学からまなんだこと6』を発刊されました。自分の思いをうまくまとめるこの技を是非教えていただきたいと思っております。

 

4916-DSC04043.jpg

 
 今回のテーマーは「京都における町名看板と道路標示」で多くの町名看板を見ることによって、「町名看板」が広告媒体として果たしてきた歴史を見ることができた。また同時に京都における「町名看板」や「道路標示」のあり方について考えるべきことがあるように感じました。愛好会もあるお馴染みの仁丹看板は明治の末ごろから設置が始まったようじで、最初は木製でした。100年近く経った現在も数枚が残り貴重な物となっています。その後はホーロー引きに変わり今も多く残っています。時代により行政区が右書きであったり縦書きであったり、また広告部分の「大礼服を着た男性」のデザインも時代により変遷されています。仁丹看板以外でもよく目に付く看板は、フジイダイマル・京都南ライオンズクラブ・京都ロイヤルライオンズクラブ・京都南ライオンズクラブなどがあります。

4917-DSC04049.jpg


明治期には京都市は上京区と下京区しかありませんでしたが、1929年(昭和4年)より周辺地区を編入し、さらに区の再編を繰り返し全11区に分離しました。その結果現在の左京区に上京区が表示されている看板があったり、東山区に下京区の表示の看板があったりなどで大凡の設置時期もわかります。また、郵便番号も3桁、7桁表示とありますが、5桁の看板は今までの調査では未見です。
広告部分にはスポンサーが共同で設置されているケースやスポンサーによってデザインされたのもあります。歴史の波の中で消えてしまったスポンサーの看板も残っています。立て替え等により居場所を追われた看板は門扉や電柱にくくり付けられているものもあります。


4918-DSC04047.jpg
 

町名看板の役割は今自分がどこにいるかと確認することだと思います。が全く看板がなく唯一の手がかりが消火器に記された町名だけというところもあります。観光地では集中的に改善されているようですが一歩街区の中に入るとどこにいるのか分らないというのが実情です。地図をひろげたときに現地が認識できる東西南北を表した道路標識を是非考慮していただきたいものです。

尚、『京に残る町名看板』(2011)、『京に残る町名看板 追補編』(2014)の私出版した冊子を図書館等の公共の施設に寄贈させていただきます。
ありがとうございました。(記事 岸本幸子)

 

 

活動内容
このページの先頭へ戻る

Copyright © MIYAKOGUSA All Rights Reserved.