活動内容

第32回研究発表会(11.9.22)

 32回研究発表会(11.9.22

◆日 時:平成23922日(木) 午後110分~午後4

場 所:ひとまち交流館 京都 3

研究発表:1.源氏物語の中で活躍する脇役』    都草会員 須山 里己 
      2.『「京都の環境汚染」きたな~いお話 』 都草会員 八尾 剛 
            3.『「一足早い京のひとまち観楓会」とっておきの紅葉たち 』都草理事 小松 香織
参加人数:44

参加費 :300   一般参加費 :500

  

1部の発表は源氏物語のすべてをご存じの須山さんです。「皆さまはどの源氏物語がお好きですか?沢山あるので選ぶのは大変ですよね。」と奥深い雅な物語について語っていただきました。

 

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 まず、作者の紫式部が育った環境からの説明がありました。曽祖父に中納言と言われた藤原兼輔、そして父は為時という歌の家柄に生まれました。住まいは現在の廬山寺あたりで当時は中河と呼ばれた新興地で育ち付近に土御門殿がありました。土御門殿には先に道長の正妻となる倫子が住みこのころは通い婚でしたので道長も通って生活をしていたことでしょう。倫子と紫式部は又従姉妹にあたります。
 紫式部は貴族の住む高級住宅地で育ちました。そしてこの地「中河」は花散る巻に登場します。
この時代中宮や皇后にあたる人でないと女性には名前など残らず父や夫の官職名で呼ばれました。そこで源氏物語を書いた娘が父の官職名の式部で紫式部と呼ばれました。紫は藤原氏という事だと思います。花山天皇の退位に伴い官職を辞してから約10年後996年春、為時は除目で淡路守に選ばれますが、三日後には源国盛にかわり越前守になります。その時の越前守任官に関する逸話が古事談・小右記等に示しされております。為時は家族で出発し道中都以外の景色を眺めそこで庶民生活を見聞きすることになります。「夕顔の巻」では庶民の生活の様子が書かれています。
 「源氏が夕顔家に泊まった時、月の光が板屋根などからもれて、見慣れぬ住まいもめずらしく、暁近くになる。隣の家々から聞こえてくる男達の声で目をさました。今年の収穫も少なく田舎の通いも考えなくてはと北側の人よ、・・・」と源氏物語は貴族の生活がほとんどですが唯一庶民の生活がここに描かれております。

 

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 つぎは、源氏物語りの中で活躍する脇役にいきます。
光源氏の兄、朱雀院が女三宮の将来について乳母に相談する場面(若菜上より)
ここでは母親やしっかりした後見人がいない女三宮の将来について乳母に相談します。ご主人に仕えた乳母と次女たちですが御門や身分の高い人達にも頼りにされたかが分かる場面だと思います。

 夕顔の巻(源氏十七歳)では源氏が惟光の手引きで夕顔のもとに通うようになります。夕顔が亡くなった後も惟光が活躍します。
夕顔のモデルになった人がいます。平安時代具平(ともひら)親王が身分低い愛人・大顔を連れて遍照寺へお忍びで出かけ月見を楽しんでいたところ、大顔が急死するという事件がありました。
 この身分違いの恋が光源氏と夕顔のモデルになったと云われています。具平親王は紫式部の父と親交があったとされています。

 玉鬘の巻(源氏三十五歳 玉鬘二十二歳)では夕顔が急死して以来二十年近い歳月が流れました。そして夕顔の遺児玉鬘は美しく育ち元は夕顔の侍女で今は源氏に仕える右近に再会しまた。ここでは乳母や右近が多く登場します。

 

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 このように主役の人達よりも脇役に人達のほうが身軽に動けますしかえって脇役の人達の方が物語を形成していたと思います。今回父、為時のことを詳しくお話しされたのは、源氏物語が紫式部だけでなく漢文や漢詩が細かくでておりますので父親も一緒に書いたのではないかと言われている説があるからとのことでした。源氏物語ゆかりの地を、お話を伺いながら歩くツアーを企画して頂きたいと思いました。

ありがとうございました。


 第2部は八尾さんから平安京に住む人たちのトイレの事情~という興味深い研究発表をしていただきました。環境汚染とはいつごろから言われるようになったのでしょうか?昭和30年代は公害と言われていました。環境汚染・破壊は比較的新しい言葉です。現在ではあらゆる分野で環境問題が取り上げられています。問題としては昔からあったと思い数年前から調査を始められたようです。

 

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 環境破壊は人間の生活や営みと地球環境とのバランスとの問題です。近代文明特有の産物ではありません。20年前に3Eといわれたエネルギー・エコノミー・エンバイロメントの3つのバランスが取れていればよいとされていました。しかし経済を発展させれば環境破壊が生まれます。破壊を押さえるためにはエネルギーを押さえないといけません。京都は平安遷都以来1200年が経ています。その間に環境汚染は積み上げられています。破局を迎えない状況をつくらないといけません。秩序の無い森林伐採はすでに環境破壊です。
 廃棄物は環境汚染を招きます。廃棄物にはどのような種類があるか?ゴミ・粗大ゴミ・排泄物・動物の死体・その他の不要物です。現在の家庭ではほぼ水洗トイレが行き渡っています。しかし昔はどうだったのでしょうか?平城京の歴史もたった70年間しか都がありませんでした。
「あおによし 奈良の都は 咲く花の 匂うがごとく 今さかりなり」万葉集に残るこの歌は天平時代前半に大宰府に赴任した役人が平城京を忍んで歌ったものだと言われています。
 この歌から当時の大都会である奈良の都の賑わいを感じることができると思います。何故、繁栄していた花の都を捨て遷都をする必要があったのでしょうか。力が強くなった寺院や政治的な要因なども考えられますが、答えの中に環境問題の説があります。

 

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 ゴミ問題や悪臭問題が発生して都としての機能を発揮できなくなった。藤原京や平城京では側溝から屋敷内に水を引き込んで再び側溝に流す。そういったものが考古学的に発掘されております。ゴミ捨て場も定められていますが側溝に捨てることも多かったようです。水量が少ない時には詰まり深刻な問題です。藤原京から平城京に遷都するときも悪臭が問題だったようです。平城京の朱雀大路には6メータの側溝があり水路として利用されました。

 また都の造営には大量の材木が必要です。この時には無制限に森林伐採をし、遷都するたびに伐採されました。これが自然破壊の原点です。奈良の大仏は環境破壊と公害をもたらした。という説があります。若草山のはげやまや発生した疾病は大仏を金メッキするときの水銀が原因のようです。混ぜ合わし塗り、熱をかけ水銀を飛ばしました。これによって公害がでてきたとのことです。

 外国でのトイレ事情の話もありました。18世紀のヨーロッパのトイレ事情です。城壁に囲まれた3階から5階建の窓から汚物を捨てるウイリアム・ホガースの版画があります。建物にはトイレはなくオマルを使用していたようです。紳士がマントを付けていたのも女子がヒールの高い靴をはいていたのもファッションだけの意味ではなかったのですね。

 いよいよ平安京のトイレ事情についてです。条坊制の街並みで東西・南北に大路・小路があり人口河川が造営されていました。路には側溝が敷設されていました。水が豊富なので絶えずきれいな水を流していました。平安京の人々の排泄量は計算によると小型バキューム車が約100台分あったようです。貴族が住んでいる寝殿造りの邸宅にもトイレはなかったようです。壁代や几帳でしきった樋殿という場所がありました。樋殿には樋箱がありました。トイレのお世話をしてくださる「ひすましわらし」「かわやうど」がいました。宇津保物語で奈良の春日大社に参詣に行く100人程の中には6人程のひすましがいました。これが貴族の生活です。

 

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 庶民の生活は「餓鬼草子」の絵で紹介されました。想像を絶するものです。とにかく汚かったようです。
 今の時代にいることに感謝します。その後も汚れ具合の話がありましたが私は平安京には「治水の利」があったので、水の豊かな平安京は自然浄化が優れたみやこであったと思いたいです。
 鎌倉中期には肥だめが出現したようです。「法然上人絵伝の厠の念仏」より当時の様子がわかります。排泄物はこれから有効に活用され農作物に肥料として使われるようになってきました。糞尿の商いもあったようです。この廃棄物のリユースについては只今調査中のようです。おもしろい話があるようですので、次回の発表を宜しくお願いいたします。 


 第3部発表は事務局金曜日担当の小松理事です。本当は須山さんの源氏物語の雅なお話の後もみじをお楽しみ下さいと、きれいに続けられる予定でしたが急きょ「トイレ事情」の後になったのでどう切出したらよいのか困られていたようです。今日は研究発表会としては初めての試みと言うことで3人編成になっています。学術的なお題で皆さま発表されますが小松理事からはいつもの軽やかなトークと美しい映像で楽しませていただくことになりました。

 

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 カメラが大好きで25年のキャリアがあります。好きですごい枚数の写真を撮ってきました。紅葉や桜など綺麗なものを見ると感情の処理としてカメラのシャッターを切りその思いを箱の中に入れて「スキッ!」とする作業の繰り返しです。一眼レフを使いレンズを覗き込むので左目にカメラジワが出来てしまいました。(笑)今日の写真は4年前から始めたデジタルカメラの映像から選んだものです。以前のフィルムのものははいっておりません。紅葉の写真を今日見て頂くことになったのは昨年「月刊京都」紅葉特集で18ページに掲載しました。今年も掲載されることになりました。そんな写真を皆さまにも見て頂きたいと思いました。私の眼で切り撮った 京都の紅葉の画面は霊鑑寺の特別拝観で見たときの写真です。紅葉の落ち葉で文字が書かれているものを丁度今回のタイトルに使われています。とても綺麗な写真を速いテンポでどんどん見せていただけます。

 

 

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 昨年の月刊京都に掲載された愛宕野々宮両御旅所・瑠璃光院・京都御所・相国寺に始まり各テーマー別に分け遠景・赤い紅葉・万華鏡の世界・散り紅葉・私の好きな枝垂れモミジ・一本でも迫力・空と紅葉・陰影を楽しむ・道具立て・夜景など何枚あるのか分からない位の枚数です。大仙院の真っ赤なモミジや海住仙寺50ヶ所以上あったように思います。モミジの写真を見て場所あてクイズもありました。同じ場所でも年によって全く変わってしまうようです。昨年より2年前の方がきれいだったようです。万華鏡の世界とは色がつき始めまだ濃くならない前の微妙な色合いの写真です。鍬山神社・妙顕寺もお勧めです。モミジの種類と紅葉のメカニズムの話もありました。日本人はモミジもカエデも一緒に言っていて選別はないようです。紅葉してもモミジと言いますしそのままでもイロハモミジといいます。京都ではイロハモミジやオオモミジが多いです。夏は葉緑素があって糖類ができます。葉緑素があるので緑に見えています。緑の中に黄色い成分があるのは薄くみえます。温度が低下すると葉っぱを落とそうとする準備ができてきて葉にできた緑度がストップします。糖類が蓄積され紫外線によって赤くなるよです。

 京都のモミジがなぜ綺麗かは都の時代も長くお寺も多く品質の良いものが多いです。それと気象庁のHPで調べたら最低気温が10℃以下になると紅葉が始まる。京都は大阪・東京に比べると最低気温が低いです。最高気温は同じようです。京都は気温差が激しいと言うことがわかります。

 

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 今回モミジの話をするにあたり会員の久山さんに庭師の方を紹介していただき2人の話も聞いてみました。紅葉を見る時は背景に緑があった方がくっきりしてきれいで、有名な紅葉から見て行った方が良いとのことです。紅葉は枝振りが命なのでどこにハサミを入れたかが分からないようにスッとしたえだになるよう剪定をされています。剪定をしすぎるのも問題があるようです。京都のお庭にモミジが多いのは山の景色を移したものだからです。庭師さんの好きな紅葉は比叡山の山裾の紅葉や鞍馬山でした。自然の中にあるものがお好きなようです。

 夜景もライトアップをされて見ることができますが夜景よりも昼間の方がお勧めです。三脚を使ってないので夜景を撮るのは難しいです。モミジ以外の紅葉も好きで銀杏・ハナノキ・錦木・満天星・ナンキンハゼ・蔦紅葉などもありました。いっぱいの綺麗な紅葉を見せていただき今年の秋が待ちどうしくなりました。次回はさくら特集を是非見せて頂きたいです。どうもありがとうございました。

(事務局 岸本幸子) 

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