活動内容

第26回都草歴史探訪会~長岡京遺跡と古刹を訪ねて~(11.3.21)

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長岡京 大極殿跡

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石塔寺(島坂)

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賀茂氏ゆかのり角宮神社

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乙訓寺

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光明寺 法然上人像

  第26回都草歴史探訪会~長岡京遺跡と古刹を訪ねて~(11.3.21)                                                                                

 ◆平成23年3月21日(祝)  12時30分 阪急西向日駅集合 曇天
 ◆参加者33名 長岡京市ふるさとガイドの会 協賛・資料提供
 ◆コース 阪急西向日駅~長岡京・朝堂院跡~大極殿跡~向日神社~石塔寺(島坂)~角宮神社~乙訓寺~光明寺
  小雨降る中阪急西向日駅を出発し、北へ歩むとすぐに長岡宮会昌門跡の碑がありました。 昭和30年中山修一氏によって発掘され、長岡京研究の端緒となったところです。この辺り一帯が長岡京の政務の中心朝堂院で、その奥の住宅街の内には大極殿跡を示す大極殿公園もあります。桓武天皇が平城からこの地へ都を移し、平安京へ奠都するまでの10年間の幻のような長岡京の姿がしのばれます。
  向日神社の前を通り、南に行くと旧街道に面して石塔寺があります。この辺り島坂と呼ばれ、長岡京造営長官藤原種継はここで矢を射かけられて暗殺されました。
  角宮神社の主神火雷神は、賀茂社の伝説玉依姫が丹塗りの矢を得て別雷神を身ごもったとされる夫神にあたり、ここの社には玉依日売命とその父神建角身命も祀られています。山城国風土記には賀茂氏は大和葛城から乙訓のこの地に入り、後に賀茂族の一部が現在の平安京賀茂社の地へ移ったとされ、長岡京市ふるさとガイドの会の方は、角宮神社こそ山城賀茂氏の本拠地であると郷土愛をこめて熱っぽく語っておられました。
  乙訓寺は藤原種継暗殺の犯人とされた桓武天皇の弟早良親王が幽閉されていたところです。親王はその後淡路島に流されますが、途中で食を絶って亡くなります。その霊の祟りによって桓武天皇の身の回りにも不幸が重なり、不吉な長岡京は廃され平安京へと遷都することになります。乙訓寺は春になると牡丹の寺として多くの人で賑わいます。
  最後に訪れたのは西山浄土宗総本山光明寺です。 「浄土根元地」の石碑をみて、総門をくぐり女坂と呼ばれる緩やかな参道を登りつめると境内が広がり正面に御影堂、その前には法然上人の像があります。建久9年(1198)法然上人の弟子蓮生法師(熊谷次郎直実)が草庵を結び、法然上人が最初に念仏の教えを説いた地です。   御影堂には張子御影と呼ばれる法然上人の像が祀られ、境内には円光大師廟、石棺、火葬跡など法然上人ゆかりの遺跡が残されています。
  懸念された雨も向日神社を過ぎる辺りから上がり、長岡京の歴史をゆっくりと学ぶことができました。地元ふるさとガイドの会の皆様懇切丁寧なご案内有難うございました。 

(寄稿:副理事長 林寛治)

(HP運営委員会 吉見誠一郎) 

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